ここはつまり、言語を使いだしたのは男が先か女が先か、という擬似問題を考えてみたい。「擬似問題」というのは正解がないどころか、問う行為もそれほど思慮深いことではないことを示唆している。
話し言葉に限定するのはもちろんだ。書き言葉が先にあったというのはあり得ないことだろう。どこかの地域で初めて両者が社会的紐帯を形成することで「古代文明」を築き上げるのに成功したのであろう。
この問自体は、もはや回答を前提としている。
女が先だといいたいがための問題なのだ。
女が先だというのは女児が早々と話し出すということだけでは根拠にもなるまい。また、女がどれほど喋ることに生き甲斐を感じているかを指摘することでこと足りるというわけにもいかない。井戸端会議は全世界共通の女性の社交の流儀であろう。
若い女性の早口をその最たる論拠としたい。全ての若い女性が早口であるわけではない。しかしながら、その口撃性&攻撃性の現れとして、地球上の老いたる男性陣にはこれほどの脅威はあるまい。
それはまるで、まくし立てることが考えること、そして生きることと同義であるほどに、一途に喋りまくる。
それは彼女らの進化論的特権なのだ。
ここにおいて、ドイツの進化論者エルンスト・ヘッケルと同じ感慨に浸る事態となる。
ヘッケル記念館の旧人モデルに書かれたケーニヒスヴァルトの慨嘆をなぞっておこう。
「汝らは幸いなり、その妻が未だ言葉を知らざるゆえに」
女権論者ならタイトルだけで反発するだろう関連書籍。おそらくは「坊や、置き去りにしてごめんね」という感じで女性の方が先に進化しちゃったのだ。
- 作者: サラ・ブラッファーフルディ,加藤泰建,松本亮三
- 出版社/メーカー: 思索社
- 発売日: 1989/06/01
- メディア: 単行本
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