人に説明しようとして失敗した経験があるのが、この進化論者の対決の争点だ。
なるほど二人とも知名度の高い進化論の擁護者であり、正統派の科学者たちである。ドーキンスは進化論の騎士ラーンスロット、グールドは進化論のプリンス・オットーに例えられよう。
ドーキンスのミーム、グールドのワンダフルライフ(バージェス動物群)は科学の枠を超えて、ブームになったことは有名であろう。
二人とも1941年生まれ。ドーキンスはイギリスで動物行動学から進化論に入った。ニコ・ティンバーゲンの弟子である。グールドはアメリカの古生物学者であり、C.G.シンプソンの弟子である。残念ながら2002年にガンで死去した。
二人は創造説のような反動的主張と戦い、進化論の果敢なブルドッグとして協調しており、その考え方には目立った相違などはないと思われがちだ。通例であれば二人は「仲良し」だと考えてしまう。ところがぎっちょんである。ダーウィン・ウォーズなる穏やかならぬ言葉があるほど、相克があったのだ。
二人の主張の差はなんだろうか。整理しておきたい。科学哲学者のステレルニーから引用しておこう。
ドーキンスの主張
1)自然淘汰は本質的には自己複製子の系統に作用する。その大多数はDNAにある遺伝子である
2)遺伝子は連合して乗り物(ヴィークル)を形成すること競争する。ヴィークルは個体ではない。個体群である。進化生物学が解明スべきは個体群の複雑な適用の仕方である。その原理は自然淘汰である。
3)人は特別な存在である。遺伝子のだけではなく、ミームのヴィークルであるからだ。
4)一部の遺伝子は独自の自己複製戦略をもつ。ヴィークルの適応型デザインを犠牲にして自己の複製を優先させる
グールドの主張
1)淘汰圧は個体に働く。しかし、多くのレベルで作用することも事実だ。
2)生物個体が備えている性質の多くは淘汰からでは説明できない。生命史の重要なパターンも自然淘汰だけでは説明できない。
3)外挿主義はよい理論ではない。大量絶滅に関係した現象は説明できない。
4)人間は進化により生み出された動物だ。しかしながら、進化生物学の手法を用いて人間の社会行動を説明できない。
自然淘汰は強力な説明原理であるのは間違いない。だが、それで説明しきれる種の発生はそれほど多くはないのではないか。
変な例で恐縮するが、即席ラーメンの進化系統樹などは良い参考になる。外的要因としての麺へのニーズの高まり、内的要因としての袋入りとカップの分裂がある。また、生麺タイプの復活などいきなり他の遺伝子が混入することもあった。
遺伝子にすべて進化の選別レベルを担わせるのはただの形而上学的な仮説でしかない。最近のエピジェネティクスがその例証であろう。
自然淘汰が種を生み出すというのも違う気がする。自然環境の激変や病原性ウィルスによるある個体群の絶滅などが進化を促すこともあろう。
木村中立説や大野乾のコピー重複説なども考慮すべきであろう。
とどのつまり、自分的にはグールドの立場が好ましいようだ。
もうひとつは、進化論は通常科学とは異なり、進化するという事実があるものの、その原動力はなんとも特定し難い、未知数が多いのだと思う。新種の発見はあるが実験室での種の製造はなされていない。
原因の不透明感では科学というよりも「医学」に近いのではないか?
病気とその要因の「因果関係」なるものは、実のところ究明し難いのが実態だ。それ故に「疫学」なる相関主義が主流になった。進化論でも同様な側面があるのではないか。
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生物現象は分子の化学反応式だけから原理的に構成可能だろうか。あるいは説明可能だろうか。そうした要素主義あるいは分子主義はただの方法論なのかもしれない。我らが構成できるのは尤もらしい説明であり検証不能(再現性が少ない)モデルだけなのではないか。
認知の構造から再考したいヒトはこの本を紐解くと良いだろう。
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