サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

認知症の知的冒険

 老化して記憶力とともに感覚器の能力も低下してくる。そうなるとバークリの観念論の適用できる状況におちこむ。

 「存在するとは知覚することだ」

バークリ僧正の正しさは痴呆化した老人にあてはまる。

 服装のだらしなさ、部屋のゴミ、会話の一貫性のなさは、知覚能力の制約と収縮をもろに反映している。相手の言うことを半分も聞いていないし、都合の悪いことは早々に忘れ去る。自我中心の狭窄化した環世界に住むかのようだ。

 知覚していないことは存在しないも同然なのだ。

 バークリの観念論は痴呆老人の生きる世界をそのまま語っていることに気づく。

IDC-10(国際疾病分類)の痴呆症の定義

痴呆は、脳疾患による症候群であり、通常は慢性あるいは進行性で、記憶、思考、見当識、理解、計算、学習能力、言語、判断を含む多数の高次皮質機能障害を示す。意識の混濁はない。認知障害は、通常、情動の統制、社会行動あるいは動機づけの低下をともなうが、場合によってはそれらが先行することもある。

 

 高次皮質機能障害になると自分の知覚し、記憶している世界がすべてになってくる。他者は自分の見解を支援する限りにおいて存在が許されることになる。バークリの世界よりは狭く貧しいのは確かなようだ。

 また、 記憶していないことは存在していなのだから、大森壮蔵の哲学を実践しているようでもある。

 

  痴呆老人のしたたかさをポジティブに論じる。人間様の生存戦略だ。