サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

脳への思考モード多元化の導入について(スペキュレーティブ・ファビュレーション)

 見回せば、いたるところ青山ならぬ、多種多様で高品質なコンテンツありのデジタルワールドに我らは暮らしている。

 かつてクリストファー・プリーストの『限りない夏』なる好短編は青春のピーク体験を永遠化するテーマを扱っていた。時間をくりぬき、至福の瞬間のスナップショットを残す謎の種族の話しだっかと記憶する。

 ゲーテの『ファウスト』の印象深いラストシーンの叫び「時よ、止まれ!お前は美しい」の現代ヴァージョンだったかもしれない。
 文字通り、そうした夢を実現することは不可能事だが、このデジタルワールドのデータフローを生かしてそのヴィジョンを実装するアプローチを奇想&ラプソディ風に論じてみたい。

 絵空事かもしれないが、ひと時の夢幻郷に遊ぶのも一興であろう。

 機能拡張に向けた二つの方法論を持ち込む。一つは情報論的放埓だ。
 情報論的放埓の意味するものは、意図的かつ能動的なデータとコンテンツの享受であり、記憶する及び理解することは度外視した前向きの構えだ。
 実はこれこそこの散漫なインターネット世界での身の処し方である。SNSにははまらないことが大前提である。それは生き方を阻害する。リップマンの超他人指向を胚胎し、脳を頽廃させる。
 その真逆こそが狙いであり、それは脳の機能拡張だ。
 情報論的放埓は脳になにをもたらすか?
 限りないデータフローはチクトハイセスミではなくチクセントミハイのフロー体験であると主張したい。

 フロー体験について引用しておこう。
「個人が完全に今行っている事に夢中になり、自己意識がない中でも自分をコントロールできている感覚がある状態」

 デジタルワールドのデータフローを味わい尽くす、放埓な情報爆発によりフロー体験が生じ、それは三昧境をもたらすのだ。

 たしかに、記憶されるものはわずかかもしれぬ。ひたすら自我の高揚感を追求する。それががあればすべてよし。そのトリガーとしての残しさえあればいい。この際、ストックとしての記憶は外部化すればいいんじゃね、となる。

 自然人類学においてのスプリッターと ランパーの競合を理解したとき、高揚感があった。であるならば、スプリッターと ランパーを記憶の片隅に残せばいいい。

そんな幽(かそけ)きことだけでも脳は活性化するものだ。自分にあっては芸能界のニュースより高揚感が、至高体験もどきがそこにある。
 隠喩的には肝心の記憶に関するショートカットやポインタを持つならば、情報そのものは頭に収納しなくてもいい。  

 ショートカットとはヒント、連想用の検索語だ。つまり、覚えていなければググるのだ。そして、ショートカットやポインタはそれほどメモリ容量を必要としない。しかし、ショートカットの豊富な在庫がなければ、無意味であることを忘れてはならぬ。
 現に上述のチクセントミハイを正確に復唱できるほど脳は精密に覚えていない。けれどもNetの力でそれを呼び出すことは、ほぼ随意的に可能だ。妨げるものは知識欲と好奇心の低下だけだ。


 閑話休題。知の越境の観点でまとめてみる。これがその二だ。
 老子意味論的(Lao-tzu Semantic)に知のドメインを超越することが、老いと幼さ、熟成と未熟さを超越することにもなる。
 すなわち、老人的なものを知り尽くした視点に浸された寂びの感性世界から、幼児的なワンダーフルとフィアフルに暴露された未踏の空間世界までを切り替えられたら、ウレシイことだ。
 前者の智慧により世俗の欲得や喧騒を無視し、ぬかるみではなく軽みに生きるモードに入れる。
 後者の情動により全能性を再び甦らせ、宇宙が全体であることを全身で観取できるようになる。

  二つの方法論を掛け合わせたデジタルなフロー体験もある。ラグタイムピアノで侘び、アニメで乙女ヴォイスに青春の余情を横溢せしむる。

 上述の例だ。


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 あー例えば、この『ひらひらひらり』を味わうとき、clariSの鼻にかかった甘いヴォイスにうっとりとして逝く春の憂愁を心にリピートしてもらえれば、ふたたび君は永遠の春に立ち会っているのだ。

 


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 あわよくば人類の精神進化のプロセスも自家薬籠中のものにしたい。つまり、古代的な思考も選択できる己が領分とできれば、さらにウレシイことだ。
 古代人の脳の機能で連想されるのはジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』的な神の声を聞けた古き右脳の能力だ。いうなれば、神々の沈黙とは文明化の副作用に他ならぬ。出口王仁三郎のように近代人でも神がかりとなれるのだ。現代文明に塩漬けにされた脳でもそれは不可能事ではないのではないか?

 近代のシャーマニックボイスを聞き給え。


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 古代的感性を現代日本人は神社崇拝に残している。デジタルワールドからシャーマニックワールドまで、思考感受性モードを操れるようになれば、世界は再び多様な色彩を帯び、生が深い情趣を湛えることになるのではないか?


 この干からびた近代世界システムでよく生きる、養生することは脳の思考モードの多元化なのではないか。

 

【参考文献】