哲学を好む人たちでよく話題になるヘーゲル哲学の難解さ。その引き合いに出されるのが、『ミネルヴァのフクロウは黄昏時に飛び立つ』なのだけれど、その出典はまもなく岩波文庫にもなる『法の哲学』の序にあるらしい。
その意図することは、一つの時代の終わりに真の哲学(者)が到来する、ほどの意味と説明される。
ヘーゲルは『歴史哲学』や『哲学史』など大きな影響を与えた講義を残している。とくに哲学史はその弁証法史観を自在に生かした内容である。
つまり、ミネルヴァのフクロウの主張は、綿密な事実に裏打ちされていると考えていいだろう。もちろん、ヘーゲルはそれを明確に主張したわけでなく、一つの比喩として、こころに刻印を残すような素晴らしいタッチで文章にしただけである。
でも、ヘーゲル哲学自体がプロイセン王国時代の頂点と、その後の解体過程(ドイツ観念論と小国家体制)を象徴していたと考えることもできる。ヘーゲルは自分の哲学体系を絶対精神の具現化であり、ドイツ民族の理念を体現したプロイセン王国がその母体となったという認識だったのだろう。
それにつけても、彼の仮説は裏付け可能なのだろうか?
例えば、古代ギリシアのアテナイの民主制のおしまいにソクラテスとプラトンが活動していた。古代ローマではプロティノスなど新プラトン学派がキリスト教に飲み込まれる以前の時代に出現した...などであろうか?
時代が飛ぶが、オランダ共和国の末期にスピノザがいたはずだ。
日本では西田幾多郎が最大の哲学者なのだろうが、太平洋戦争末期に生涯を閉じていることなどが、思い出される。
しかし、事例が乏しすぎないないか?
英米はどうか? フランスは?
スペインはオルテガか、ウナムーノか?
辛亥革命後の中国はどうであろうか? 内外に影響を残すほどの哲学者を生み出したのだろうか?
明確な翻訳で知られる長谷川宏の『哲学史講義』は文庫になっている。