サイエンスとサピエンス

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予想 中国SFの盛期の終焉 

 アメリカのSF作家ケン・リュウなどの活躍によって、中国SFは一挙に紹介された。
そして、近年に一斉に開花した中国のSFは終焉を迎えている。
2022年の年初の予想である。
 どうして、そうなるかを説明しよう。
 もちろん、わが国でも昨年に劉慈欣の『三体』の邦訳が完結したばかりであり、各界の話題をさらったばかりでもある。
 2006年に中国で発表され、2015年にヒューゴ賞長編部門で受賞した。この部門で海外SFの初受賞である。快挙だった。
 劉慈欣だけでなく、王晋康、韓松(1965-)、陳浩基(1975-)、郝景芳(1984ー)、夏笳(1984ー)など多くの作家が育っているおり、層の厚さでも欧米圏のSFに匹敵することが、ここ2-3年での日本における翻訳ラッシュで伝わってきた。
中国も政財界というより、共産党文化政策としてSFを育成する方針とも報じられた。
 それがおかしくなりだしたのが2021年である。
   習近平国家主席は2021年8月に「共同富裕」なる方針を公表した。ジャック・マーなどITや芸能界にいた超富裕層を圧迫しはじめた。誰でも標的にしたわけではない。不良分子的である富裕な著名人がやり玉に挙がった。
 昨年後半には学習塾を、そしてゲーム業界に強力な規制をかけ、廃業の嵐と大量の失業者を巻き起こした。共同富裕の方針にあっていないのだろう。
海外文化の賞賛もその規制に盛り込まれている。
 また、超高層ビルにも高さ制限を設定した。これも象徴的である。
 そこでいえるのが、言論統制の強化だ。
 反体制的であり、党が目指す人間の在り方に反するコンテンツは排除されることになる。SFの特質である自由な想像力の駆使はおのずと制限されるだろう。オーウェル的な言辞はすぐさま摘発される。

  『折りたたみ北京』という郭景芳のヒューゴ賞受賞作を例にとろう。設定からし

貧富の差、共産党の方針である格差がテーマになっている。格差社会であり物理的に隔離までされた都市のもとであえぐ人びとが描かれている!

 それに馬伯庸の『沈黙都市』などはWeb監視社会の市民の苦境と苦悩を描いていて、現代の中国そのものではないか!

 宝樹の『金色昔日』は時間遡行SFだが共産党の起こした中国内政の混乱と悲劇を淡々と描いている。北京オリンピックから天安門事件文化大革命を経て、毛沢東の大飢饉を扱うとなれば、危険分子というファイルに宝樹は分類されるだろう。

 韓松という作家は新華社通信の社員でもあるのだが、その『潜航艇』は農地を奪われた農民工の末路が扱われる。

 空想上の物語りとはいえ、これだけで検閲でアウトになるのが、これからの中国なのだ。一歩間違えが体制への風刺や批判になってしまうような発想が許されなくなる。
 そんな息苦しい環境でSF作家が創造性を発揮できるかというと大いに疑問なのだ。
ソ連のSFの発展をふり返れば中国SFの今後も予想がつく。
 実際、革命後の数十年はSFはそれなりに活力があった。エフレーモフ、ストガルツキ兄弟などによる質の高いSF作品を生みだしていた時代は短期間だった。

 1920年代からスターリンによる粛清が始まる。ちょうど100年前だ。言論文芸界にもその嵐が吹き荒れるのだ。
 結局、英米圏のSFに対して20世紀の最後の四半世紀は稀薄になる、ソ連も倒壊した。
 中国が倒壊する気配はないが、中国SFは間違いなく追い詰められいく。

あだ花であったわけではないけれど、彼らに敬意とさらばを告げよう。

 中国のSF作家たち、さよなら、自由のビジョンをありがとう!
そう年初に予想しておこう。


【参考文献】
 この初めての中国SFの短編アンソロジーは衝撃的であった。盛期の日本SFよりもパワフルで壮大であるのは確かだ。『折りたたみ北京』も『沈黙都市』も2010年頃の作品であったわけだ。序文でケン・リュウは政治批判ととってはならないと釘を刺しているが、これほど無駄な寸止めアドバイスはないだろう。

 

 上記の『金色昔日』や『潜航艇』などはこちらに掲載されている。なんか戦前のプロレタリア文学のような読後感なのだ。共産主義国家の未来を描く作家が搾取される人を主人公にするというのが現代中国の反面の現実だろうか。

 

 上の主張はこれに勝る作品は今後出ることがないであろうという予想にもなる。イントロの部分で文化大革命の悲劇が克明に描かれている。それだけでも将来性を危うくしてしまう。さしもの天賦の大作家も10年後には中国メディア上から滅失していることだろう。

 

 古書でしか入手できないソビエトのSFの栄華の書。現代の出版と記憶の薄さというわけであります。なにも残らないのではしょうがない。