サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

科学技術文明の発展の上限を決めるのは物理学であろう

 この議論の基盤にややSF的な発想がある。

かつては惑星への移住や宇宙コロニーの建設、あるいは太陽系外への人類の進出などがリアルなテーマであった。地球に人類が足止めされる限り、人口は飽和しつつ資源を使い尽くし、じり貧になるというマルサス的な思考が自然だったのだ。

その例が先年物故した物理学者ダイソンだ。ダイソンは人類と科学の無際限な発展を晩年まで信じていた。

 その制約は物理学の既知の法則にあるとしていいだろう。

 いいかえると既知の物理法則は人類に利用可能なエネルギーやその変換効率、移動速度など時空の制服可能な上限を決めている。自然界の観測可能性(範囲と精度)や操作可能性もその上限を規定しているだろう。

 そうなると自然科学の背骨となる物理学の発展の制約が人類の宇宙侵出の制約をほぼ決めている。人間の生物学的な制約もあるが副次的だろう。

 ところで、ここで歴史的な経緯を突き合わせてみる。

物理学の革命前夜1900年を振り返る。相対論や量子力学が誕生する時期における物理学者の数は1500名程度だったとされる。そのメンバーが革新をおこしたのだ。

 21世紀の現時点で物理学者はその数十倍はいると推定される。予算も比較にならぬほど優遇されているだろう。では、1900年から20年間での革新と同程度のことが2000年からの20年間で起きたであろうか?

 スーパーコンピュータ、インターネット、巨大加速器等々を有しているにも関わらず

 答えはNoだ。

 その遅滞の原因は物理学者たちの能力の不足でもなんでもない。単に基礎物理学の可解域がかなりの範囲で開拓された結果だと、つまり、発展が飽和したからだというのがまっとうな見方ではないかと思う。

 ブラックホールについてのホーキング理論や超弦理論などは見事な結果なのだが、それでテクノロジーが進歩するような代物ではない。時空を操作する手段につながる理論ではないということだ。

 例えば、素粒子論は人類が構築しうる実験装置が許す範囲を極めつくした。また、ファインマンは「自分たちが自然法則を発見する時代」に属していたことを自覚していた。新エネルギーや移動手段はすでに出尽くしたわけだ。あるいはこうも言える。

 ファインマンは類を見ない卓越した科学者であり、その「ファインマン物理学」は化学の神髄を掲示する優れた教科書だった。それによって、多くのファインマンジュニアを生みだした。それらのファインマンジュニアたちの業績をすべて寄せ集めても、ファインマン一人の業績には及ばない。科学の時代拘束性の由縁だろう。

 あるいは晩年のディラックの発言でもいい。

「今は一流の科学者でも二流の研究しかできない」

 

 上記の議論からでてくる結論はシンプルだ。

 こと宇宙空間の有人による開拓や移動については、上限がほぼ決まったということだ。すなわち、惑星移住は限定的で人類の大多数は地球に固定されることになろう。

 

【参考文献】

 物理の世紀の始まりと終期を展望するのに適した書籍。

 20世紀初頭の物理学界の模様(欧米中心、日本も顔出し)が記されている。締めくくりが批判的な見地からの超弦理論の位置づけだ。