サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

記憶術とハードディスク

 フランセ・イェーツを紐解くと西洋の記憶術の歴史の深みが顕になってくる。シモニデスの記憶術はギリシアの詩人が如何にして事故で亡くなった人びとの遺体を記憶で識別するかという痛ましいエピソードでもある。故人を最後に見た場所がその識別の鍵となる。
 記憶法の第一段階は「一連の場=lociを記憶する」ことになる。クインティリアヌスがその雄弁術で論じている通りだ。
 以上を始点にして、ギリシア→ローマ→ヨーロッパ中世と学問的系譜を延々と回顧してゆくイェーツ女史の手腕にはぐうの音も出ないのだが、ここで引用したいのはその場所の知がブルーノ(ルネサンス期の異教的思想家)で下記のような円環に集約されたことだ。

 もはや言わんとすることは明らかだろう。場所の知=記憶術が円環として象徴されそれが今日のディスク・メディア(Blueray、ハードディスク等)に変容していくのだ。円環はその一望性と秩序性、配位空間の単純性からして記憶の保管庫に最適であった。長期的な記憶には相互に関連付けられた配列が必要になる(ディスのフラグメント化はその秩序性が崩れてくることに由来する。その場的な情報の読み書きは記憶の場の整合性にヒビ割れをもたらす)。それに対して短期的記憶は秩序化されていることは不要である。

 そのあたりの事情に精通した情報工学者としては西垣通がいるので、彼の簡潔な紹介を参照いただこう。

 ブルーノの記憶術の書は下記がある。最初の書『イデアの影』に上図の円環が現れている。

イデアの影について』
『キルケの歌 法定用と自ら名付ける秩序だった記憶の実践書』
『記憶の術、および想像の領域を渉猟する術』
『三十の像の燈』
『イメージ、刻印、およびイデアの組み合わせについて』

 こうしたヘルメス主義が記憶術→計算機械の根底にあるのは、対抗文化からパソコンが生まれてきたのと類縁性があるような気がしてならない。


【参考資料】

 ブルーノの無限世界観は中世人の宇宙観を突き破るものだった。火あぶりの刑にされるのは当然だったのかもしれない。

無限,宇宙および諸世界について (岩波文庫 青 660-1)

無限,宇宙および諸世界について (岩波文庫 青 660-1)

 おそるべきことに日本では著作集まで出ている。

原因・原理・一者について (ジョルダーノ・ブルーノ著作集)

原因・原理・一者について (ジョルダーノ・ブルーノ著作集)

 ここでは記憶とその組み合わせの秘教的起源が指摘されている。だが、思考機械=人工知能とはいかない。
組み合わせ術が「思考」だという主張は過去のものだろう。

 記憶術の伝統をおさらいしたい好学の人向け。この本で、是非とも西洋精神の深みを感じてほしい。

記憶術

記憶術