情報がコンピュータに移行するのは時間の問題だったのかもしれない。もともと記号を処理する機械として、入力装置・演算装置・出力装置の組み合わせがコンピュータの出発点だった。
入力装置の起点はタイプライタにある。タイプは入力すると即座に印刷物という出力物になった。入力記号(文字)を操作するようになるとワープロになる。ワープロは情報の保管も複写も可能だった。媒体経由でワープロによるデータを交換するのを通信とみなせば、断続的な通信もできた。
さらに画像表現が出力側に加わる。ゲームやお絵かき、ハガキ作成と用途が広がり、ついにパーソナル・コンピュータが生まれた。
こうして振り返ってみると、始めは自分で入力していただけなのが、やがては他人の入力情報を再利用するというのが底流にあったのに気付かされる。
情報通信の電子化のカスケード(みんな電子化)が進行していったわけだ。
やがて入力時点が情報発生時点になる。
企業の間接業務の多くは、情報処理だった。
情報を登録することがやがて業務そのものに置き換わる。
個人の情報処理もパソコンの浸透でだいぶ変化する。自分の机のうえにに鎮座するのは原稿用紙やノートと万年筆ではない。パソコンだ。
いわゆる大人の書斎は一定の通念があった。重厚なつくりの机と椅子。
机はひろびろとした作業机だ。丸善に売っているような高級な文具が取り揃えられている。そのまわりを書棚が囲む。世界大百科事典や夏目漱石全集なのが成功と成熟のあかしみたいなものだった。
成功した大人はみなそうした個人の空間を確保できると夢見ていた。だが、夢と現実は大違いである。
世の中、そうしたスペースを確保できる人はほんの一握りであろう。しかも、それを獲得できるほど成功した人は、そのスペースで憩うのはほんのいっときだけではないか?
でも、世の中良くしたもので、かつての書斎のようなユッタリとした個人空間は必ずしも必要はない。それはコンピュータのおかげである。
大容量のディスクには図書館並みの情報を保管でき、即座に引き出すことが可能だ。入力はマウスとキーボードで間に合う。その大型液晶画面で資料、映像、書き物、計算、文書作成は大きな作業机の代用になる。
書棚のアナログな本は電子書籍に置き換えられるだろう。さらには、新聞・雑誌などがWeb情報に置き換わったようにだ。
これこそ電子書斎と言えるだろう。
電子書斎を自炊で構築するのが王道ではないかというのが私のスタンスだ。なにしろ電子書籍をこれから揃えるのは、一苦労だし、コストもバカにならない。第一、欲しいタイトルが出るのも先になるだろう。
その点、自炊本は多少本切りという手間がかかるが、自分の好みのタイトルは揃っているので問題がない。古くなって黄ばんだ本からやるのがコツだ。面白かったがもう読むこともないだろう小説とか、ためになったが内容が古びた新書なんかが、いい。
何よりも空間が空くのがいい。新しい本を買う気にしてくれる。
追記:この本はこれからの電子書斎について、自炊の仕方や知的生産、整理術、読書術などいろんな側面からまとめた本だ。単なるiPadだけではなく、Kindleにも通用する。
iPadでつくる「究極の電子書斎」 蔵書はすべてデジタル化しなさい! (講談社+α新書)
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