サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

GDPの仕分け

 経済成長の指標はGDPという決まりごとになっている。だがどうもスラッファの小言のようにゴミを入れればゴミしか出ない統計の一つという懸念もないとはいえない。
 そのことについての、切れ切れの情報と意見をまとめおく。

 積年の疑問は医療費だ。可逆性の病気の治療、つまり、病気が完治する場合はその費用を経済成長に関する項目に数えてもよいだろう。それは有効な投資であるからだ。
だが、終末期医療で高価な治療を行うことはどうなのだろうか?
 医療行為を投入するだけで延命=病床にいる時間が延長するのに役立つのみだ。これは投資というわけにはいかない。あるいは美容整形。アメリカで盛んな脂肪吸引やしわ取りがいい例だ。健康を損ないかねないリスクを増やす効果はあるだろうが、世の中の経済活力を増すだろうか。
 そういうわけで、アメリカのGDPの20%を占める医療の経済的効果にはかなり疑問を感じる。先進国で急速に拡大したアメリカの医療費は健康増進や延命にすら、ほとんど貢献していなように思えるからだ。つまり、無駄金をGDPとしているのだと感じる。

 国防費もその大半はドブに捨てる行為である。軍事的なステータスは、政治的には意味があるのであろうが、投資という観点、経済的な活性化という観点では、ほぼ有名虚実となっている(かつては技術革新につながったが、今ではそうでもない)。まあ、しかし、これは多くの国家では5%以下であろうから、それほど大きな負荷とはいえまい。
 北朝鮮のような生産力がボロボロの国で4割を軍事費に投じるのは、明らかに経済的な自殺行為であろう。
 役人が多くの機関にしがみつくようなだらけきった政府の人件費支出の大半も無駄であり、死に金であろう。ヤル気のない役所を抱えた国の政府支出を全部GDPに組み込むのも、いかがガなものであろうか。旧ソ連の末期状態がそうだった。

 つまるところ、経済成長や経済活力のバロメーターとしてGDPをもてはやすのはやめようではないか。世界第三位になろうがなるまいが、どうでもいい。
 こんなゴミ指標を気にかけるのはたいがいにしようじゃないか。経済学者が自分の理論を整合化するためだけに生み出した幻覚、GIGO(Garbage In, Garbage Out)統計値でしかないのだ。
 どこかの貴族が宴会でもっと食べるために嘔吐した。そんな経済行為がこの統計には山ほどカウントされているようだから。

マクロ経済学専科

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