サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

素粒子論の気まずい基礎理論

 素粒子がどのくらいあるか、というとレプトンが12個。強い相互作用を受けない粒子です。

これは許せるとして、ハドロンの例えばバリオンはこんなになる。
なんと574個だ。この他に中間子が7個ある。

(読めなくてスイマセン)

 ハドロンをすべて説明するというのがクォークである。クォークは12種類ある。
三個のクォークハドロンが出来るのだから、123=660通りでバリオン相当の素粒子は導出できる勘定だ。
 マリー・ゲルマン(ファインマンとは仲が良くなかったそうだ)の発想の妙というべきか、電子よりも重たいくせに、電荷が1/3などという馬鹿げた値になる(対称性のために)

 クォーク理論は疑問の余地なく検証された素粒子の基礎理論であり、正統派の物理学者で疑うヒトはまったく存在しない。完全に確立した整合的な理論だ。
 なのに気持ちがワルいと素人の自分がいうのは、「観測されない」粒子を基礎としているからである。現在の加速器程度では単独のクォークは検出できないと証明されている。これもなんとなく不快な話。
 前世紀にあったエーテル理論のようなのだ。相対論で不必要とされて消え失せた究極の物質。末期は観測できないとローレンツがその収縮式で巧妙に説明していた。

 クォークが気味が悪と思う古い反感はハドロンが574個もあるという変な博物性にも由来している。誰がこんなに素粒子を注文したんだ、というわけだ。
 そうなのだ。悪く言えば、博物学レベルなのだ。哺乳類に有蹄類があり、それは数字の偶奇性で二種でわけられる。奇蹄目は盲腸で消化して偶蹄目は反芻する..というレベルに非常に近いような感じなのだ。素粒子論はSU3など有限群など使っているけれども、分類の手段でしかない。これも博物学レベルといえるだろう。

 つまりは、気持ち悪いという異議申立てと同じく、基礎粒子がクォークだというのも純然たる形而上学ではないだろうか? クォークとはジョークだったという時代が遠い未来にやってくるかもしれない。
 だが、クォーク理論は崩れる気配すらない。それも事実だ。

えれめんトランプ

えれめんトランプ