サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

災害は起きる、予想外の順番で

 2014年9月時点で、エボラ出血熱は西アフリカで猖獗を極めている。ところで、昨年にエボラ出血熱の流行を予測した人はいない。もちろん、『アウトブレイク』(1995)でハリウッドが映画化したのはもう十数年前だから、多くの人々はその危険性と可能性については、それなりに知っていた。
 しかしながら、感染症で恐れられるべき存在は鳥インフルエンザ(H5N1)であった。そのために先進国は何十億ドルも拠出してワクチンや感染症拡大への予防策を講じていたのだ。それをパンデミックと称して警告したのは世界中の専門家たちである。
 ここで2011年の東日本大震災を比較するのはそれなりに意味があろう。
この驚異的な規模の地震が発生する前に、地震学者たちは東海沖地震に対する注意喚起を訴えていた。しかし、大地は肩透かしを食らわして東日本大震災を送り込んだ。次は、そして、今度こそは南海沖だと地震学者たちは警告している。
 二つの事例から、汎用的な教訓を得ることはできないだろう。専門家たちはある意味で間違っているわけではない。過去の事件をもとにした科学的分析から、リスクを警告しているだけだから。そもそも、リスクとは確率的な危険源発生なのだ。

 しかし、こうはいえないだろうか?
 たかだか100年程度(鳥インフルエンザの先行事例はスペイン風邪は20世紀初頭だ)をもとに、次はここだ、次はこれだというのは、どうも行き過ぎた警告ではないかと。南海大地震にしても1940年台に発生しているのだから、この言明には矛盾しない。
 それに加えて津波による原発事故は誰も警告は出していなかった。あの高木仁三郎でさえもだ。地震による電源喪失は予想しえたのだが、津波による予備電源喪失までは対処策をほどこしていなかった。二重の災禍が福島第一原発を同時に襲った。
 いかに科学という知識が有限であり、技術が未熟であるかを物語るものだろう。だからといって諦念を説くわけではないのだが。
 災害を完治する処方箋なし、だが、警戒は怠るな。それしか言いようのないのが現実なのであろう。
 予防原則が機能しえないのでないかという議論がある。
 予防原則とは「たとえ発生確率が極めて低くとも社会にとって取り返しがつかない災害ならば、その防止策を講じろ」というものだ。
いかにも承伏できる内容のようだが、そう簡単ではない。
 ある狭い地域で1000年に一度発生するかどうかの災害に何百億円も投じて防災設備を建築することは正しいことだろうか?
 この問いに答えるのは容易ではない。

【参考書】

最悪のシナリオ―― 巨大リスクにどこまで備えるのか

最悪のシナリオ―― 巨大リスクにどこまで備えるのか