牛殺し文明への異議申し立てをしたいところだが、その主張と裏腹に自分はいまだビーフは時おり食する。いきなり主張の誠実性に疑問符がつけられるのは確かだろう。
しかしながら、自分を叱咤するつもりで「牛殺し」という動物虐待が現代的基準で許容できないものかをまとめておきたい。
事態を複雑にするのは家畜飼育という偉大な伝統がありつつ、それに異を唱えることだ。牛しか頼ることができない文化圏に牛殺しは非倫理的だと決めつけられはしない。太地町のイルカ殺しもそうで、そこに外来者が余計な差し出口はしてもしょうがない。
グローバル社会のなかでの牛のホロコーストを俎上にのせるのが、ここでのターゲットだ。巧妙に隠蔽工作されたオートメーションのなかで、大量に機械的に殺戮し、一般大衆にいかにも高級で洗練された食材であるという表面性を取り繕っている。
しかし、屠殺前の牛はその死を自覚している。アウシュヴィッツの毒ガス室の状況が先進国にいたるところで繰り広げられている。
牛の悲鳴をきいたことがある一般大衆は少ないだろう思う。その哀れさに、日本人は肉食を、少なくとも豚や牛の食肉風習を江戸時代前までに捨て去った。
「文明開化」とともに屠殺肉食はやってきた。おかげで攻撃的で戦争好きな国民性を復活させてしまったようだ。もちろん国民の体格や健康向上には貢献したことであろう。
だが、体力向上したかというとそれは「?」である。明治初期の人力車の車引の耐久力に欧米人は誰しも一驚している。お雇い外国人医師ベルツもその研究をものしている。
先祖が鉄砲を捨てた日本人とともに肉食風習を捨てていることを思い出しておこう。最近の肉食化シフトによる大腸がんのリスク上昇については別にここでの論題ではないが、やはり重要なアンチのシグナルとして見過ごせない。
牛食普及とととも世界中の穀物の需要が逼迫する。その無駄なことはバイオエタノールなみだ。それを大量の証拠で論証したのがリフキンだ。牛に好きでもないコーンを無理やり食べさせるメガ食肉工場の存在はハクスレーの「素晴らしき新世界」の家畜版が実在することを意味する。
水不足と食糧不足がやがて到来する。21世紀の前半にはそれが起きるとされる。大量の牛の飼育はメタンガス放出にもプラスである。つまり、温暖化問題にも一役買っている。
要するに現代人は何くわぬ顔で牛を大量に消費しながら文明の基盤を壊しているのだ。
リフキンの挑発的かつ正当な異議申し立ての書。
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