サイエンスとサピエンス

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日本のテイヤール・ド・シャルダンは誰か

 カソリック司祭にして自然人類学者で深淵なる思想家というとテイヤール・ド・シャルダンに指を折ることになる。信仰と科学の折り合いをつける進化論的宇宙観をうみだした。あいにくとローマ法皇からその主著は禁書目録に入れられるという憂き目にあうのだが...。

 でも、自然科学と信仰を極限まで融和させようるというのは、一つの立場だと評価できるだろう。何より、知的好奇心を掻き立てる。

 しかしながら、あってしかるべき正論は、ベルギーのジョルジュ・ルメートル神父の立場ではないか。アインシュタインの一般相対論を駆使して、膨張宇宙モデルを組み立てた理論物理学者だ。

 テイヤールとは異なり、その宇宙モデルはローマ法皇も認め、カソリック教義と一致するというお墨付きを得たくらいだ。

しかるに、ルメートル神父は自然科学と信仰は異なるとして、このお墨付きに敢えて異を唱えている。

 ルメートル神父は理解していた。いかに優れていると言え膨張宇宙モデルに教義が左右されるようなことがあれば、信仰が揺らぐかもしれない。科学上の事実は信仰の証拠とは別物だと。

 西洋思想では、かほどまでに科学と宗教のせめぎあいというものに深みと広がりがある。

 他方、日本はどうであろうか?

 日本版のテイヤール・ド・シャルダンはいたのだろうか。いなければ、今後出現が期待できるだろうか?

 科学者であって信仰者であった人たちはいくたりかいた。著名なところでは上智大学の物理学教授かつカソリック司祭であった柳瀬睦男、『法華経と原子物理学』の松下真一など数人にすぎない。数学者では末綱恕一がいた。大拙高木貞治の弟子でもあった『華厳宗の世界』は深い大乗思想への共感を示してはいる。

 テイヤールのように強烈な信念でもって、科学と信仰の大同一致を提唱した人物は見当たらないようだ。

 あの南方熊楠をその一員としていいかどうか迷うところだが、この天才は密教的世界観を積極的に唱えたわけでもなさそうだ。

 禅や浄土宗には物理的世界の解釈は不向きなような感じもある。神道などは、なおさらだろう。神道と進化論的生物学を融和させる思想などは水と油の混合物になろう。

 つまるところ、日本的精神風土ではかなり敷居が高いという結論になるのであろう。

 

【参考文献】

 

 

  松下真一は科学者というよりは現代音楽の作曲家としての経歴が勝っている。変わり種であることは間違いないけれど。