サイエンスとサピエンス

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ヴィルヘルム・ライヒとアインシュタインの接点

 ヴィルヘルム・ライヒは今ではほとんど顧みられることのない異端の精神分析学者である。主に、フロイトマルクスの融合を図り、政治運動にフロイト理論を適用したことで有名だ。『ファシズムの大衆心理』などが紹介されている。
 晩年になり提唱したオルゴンエネルギーは一種の生命エネルギーとでもしかイイようがない、不可思議な理論である。ライヒ自身は絶対の確信をもって研究を続け、メイン州にオルゴン研究所「オルゴノン」を開設した。
アメリカではこうした理論はけっこうウケる。賛同者も集まりやすい素地があります。
 ちなみにその施設は存続している。The Orgone Energy Observatoryである。ここにオルゴノンも併設されている。財団は「Wilhelm Reich Infant Trust」となっている。

 同施設のロケーション。


 今では誰も問題としていないからでもあるが、ここではオルゴンエネルギーの真偽は問わない。
興味があるのはアインシュタインとの接点であります。アインシュタインほど疑似科学関係者から愛された人物はいないだろう。ライヒも例外ではなかった。
 最近入手した妻のイルゼ・ライヒの伝記から、ライヒ側の言い分を引用しておく。このライヒ伝ではオルゴンエネルギーについては距離を置いて記述されている。
 その例証はイルゼの見解にある。

ライヒがのちにアインシュタイン事件と呼んでいた事項について、わたしは科学的な黒・白をくだせないし、ことこまかに論ずる能力ももたない。

 ということで、アインシュタインライヒの両人のあいだで、オルゴンエネルギーについてのやり取りがどういう顛末になったかについては客観性はある程度保たれているだろう。

 1941年にプリンストン大学高等研究所にいるアインシュタインライヒは手紙を書いた。それが始まりだ。
そして、ライヒはどうにかしてアインシュタインとのアポをとったらしい。

一九四一年一月一三日の正午ごろ、アインシュタインプリンストンを去るのをまって、ライヒは慎重かつ熱心にかれに逢う準備をととのえていた。夜おそく、ほとんど真夜中らかくなってライヒは帰ってきた。

 イルゼはその後の夫の話からアインシュタインに対するオルゴン理論の売り込みはうまくいったらしいと感じる。

 わたしたちは早朝まで喋りつづけた。アインシュタインとの対話は考えられないほど友好的で元気づけられるものだった、アインシュタインははなしやすかった、ふたりの会話は五時間ちかくもつづいた― かれはそんなふうにわたしに語った。アインシュタインは、ライヒの報告した現象をすすんで追認してみようといった、だから特別に小さな集積器をつくって、かれに贈らなければならないだろう。アインシュタインライヒが前もって準備した小道具――オルゴン・エネルギーの所在を観察する目的でつくられたオルゴン鏡― ―をみて、たしかによろこんだ、オルゴン鏡はあらかじめもって行ちたのだ― ‐
 ライヒはそんなはなしもした。ライヒがかれに一番重要な発見――それがライヒの訪問理由でもあるのだが――である、集積器の内・外では体温に差が生じた現象を報告すると、アインシュタインは、もしそれが事実なら『破天荒な発見』になるだろうといったそうである。ながい会談のあいだ、アインシュタインはかれを物理学者だと思っていたので、 一介の精神病医だというと『そんなはずはないでしょう』と反問してかれをよろこばせたそうである。

 そして、ライヒの提供したオルゴンエネルギー実験装置でアインシュタインは追試をした..らしい。
その経緯はこうだ。

 二月一日、ライヒはあらたにつくった実験装置をプリンストンあてに送った,この件でアインシュタインがどれほどかれに関心をしめしているかを知ってさらにふるいたった。
その後の経過を価値評価するのは、科学者にとってこそ重要な手つづき上の問題である。アインシュタインライヒの発見を追認したが、体温変化についてはべつの解釈をくだす手紙を書いてよこした。
.....これにたいしてアインシュタインからは、理由不明ながらそれっきり反応がなかった。ただ問題を公開にしたくない、という意味深長な発言があっただけである。

 結局のところ、その後のアインシュタインの応答はツレナイものだった。ライヒも落胆して、アインシュタインの態度の変化をコミュニストの陰謀のせいにする。
 愛想のいいアインシュタインから体のいい婉曲な拒絶を受けただけだったことは確かだろう。
そして、アインシュタイン側の伝記でライヒに言及したものは見たことがない。なのでイルゼの記録が正しいとはいえないものの、アインシュタインらしい身の処し方だということは言えそうだ。

 ここでは、アインシュタインはオルゴンエネルギーに対してすら、頭ごなしの拒絶反応はしなかったという教訓だけをメモしておこう。彼は一応、ライヒの言い分を聞き、そして、実験装置を使ってみた上で、婉曲に身を引いたのだ。ライヒは敬愛の念を持ち続けたといえるかもしれない。


【参考資料】
 アドラーですらリバイバルしたのだから、もうすぐライヒも蘇るだろう。大衆が自己中心的になり、それに迎合的な政治家が雨後の竹の子のように出てきているのだから。

ファシズムの大衆心理 (上)

ファシズムの大衆心理 (上)

ファシズムの大衆心理 下

ファシズムの大衆心理 下

ライヒの生涯 (1970年)

ライヒの生涯 (1970年)

親オカルト的観点でコリン・ウィルソンの評伝も同様な記載になっていたと思う。