サイエンスとサピエンス

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21世紀のリベラリズムの一斉退潮

 先進国では軒並みリベラリズムが退却してきている。アメリカンファーストのような自国中心主義が台頭し、弱者である他国民を排除する傾向が強まっている。イギリスはEU離脱を決め、フランスでも極右勢力が伸びた。彼らは難民や移民の受け入れに抵抗し、テロを害悪とみなしてその予防をお題目にしてはいる。
日本でもネット右翼が同工異曲の主張を隣国にぶつけている。そうでなくとも大江健三郎丸山真男はそっぽを向かれ、朝日新聞同様に言説のメインストリートから外れてしまった。

「今のポジションを譲るものか」というのが現在の自国中心の保守主義の思考である。政治や経済の変化や変革を拒む姿勢が鮮明だ。彼らの本音は現在の自分たちの経済的な地位を守り、安全性と自国の領土を保全するのがその意図であろう。

 長期的に見れば、これは20世紀における「イデオロギーの終焉」からの社会的な趨勢であろう。「イデオロギーの終焉」とはマルクス・レーニン主義の主張へのアンチテーゼ、あるいは社会主義国家の一連の失敗という現実を指す。
 ソ連ベルリンの壁崩壊、東欧の自由化などに加えて、クメール・ルージュの恐るべき実態や北朝鮮の恐怖政治を目の当たりして、マルクス・レーニン主義の実験は終焉したと人びとは考えている。事実、地上の共産主義ユートピアは生まれることはなかった。
 このような歴史的な連鎖が21世紀の「リベラリズムの一斉退潮」にまで及んでいると自分は考える。「自由平等博愛」を並立させた国家はありえないことが「証明」されたという思い込み、大衆や次代を担う若者層の深層心理に染み付いた。先進国のおおよその市民はみなそう考えている。

 カール・マンハイムのいう、「政治的保守主義とは政治的。経済的に支配する階級や階層が、新しく登場しつつある下位階級や階層の政治的進出を阻止し押さえ込もうとする思想態度で、それゆえに支配層は自由は認めても平等はなかなかに認めないものだ」を想起しておこう。

 この言説で「支配層」を「先住市民」、つまり先進国で既得権利を持つ市民層に読み替え、「新しく登場し
つつある下位階級や階層」を移民や難民、後進国などに置き換えれば、その思想的状況は理解できるようになるだろう。
 最近、流行っているトマス・ホッブスとその政治思想の再評価も、ここまで遡らないとあるべき政治思想を再構築できないという政治学者たちの閉塞感の現れなのだと思うのだ。ひところ主流だったロックやルソーの思想では現状の変化に合わないし、制度疲労しだした民主主義の再考のノビシロと余裕がないのであろう。
 
 個人的には単純リベラリズムの「自由平等博愛」は暑苦しく、新保守主義の強圧的な偏見は重苦しい。どちらも親しめないでいる。
 このような政治的思想的空隙を衝いて出現するのがUSの大統領や今の都知事のようなポピュリズムだ。一見、新鮮味がありそうで、だが内実は空虚な政治手腕というものがその特徴であろう。
 あるべき姿の政治思想は出口なしの状況にあるのだと感じるのは自分だけだろうか?