アインシュタインについでポピュラーな物理学者というとリチャード・ファインマンに指を折ることになろう。
量子電磁力学におけるファインマン・ダイヤグラムは、それまでの物理の計算流儀をひっくり返した驚きの精神的世界遺産であり、その余韻は今でも続いている。
けれども、ファインマンさんは超天才「?」という疑問符は『ファインマンさんの流儀』を読むことで再考に値するものになったと自分は思う。
クラウスは「最小作用の原理」としての経路積分の発見こそが、ファインマンの様々な大発見を貫くものだという見方を提示している。そのうえで、ファインマンの業績はその派生物、といってもどれもこれも一流の業績であるが、にすぎないと示唆していると思える。
そもそもノーベル賞受賞理由となったQEDは、パウリ&ハイゼンベルクが土台を作った。朝永、シュウィンガー、ファインマンそれにダイソンはそれをくりこみ理論で復活させたに過ぎない。そもそもが三人による同時発見だったのだ。
つまりは、パウリやハイゼンベルク、それにディラックの基礎をもとにその着実な応用と汎用化に道筋をつけたにすぎないとも言えるわけだ。
無限大の困難は「くりこみ」で回避されているが、根本的に解決されたわけではない。それでいいとほとんどの素粒子物理学関係者は思っているようだが、素人である自分には?のままだ。
ファインマンも生前はくりこみを「カーペットの下にゴミを掃き出す」だけだと感じていたようだ。
陽子についてのSLACでの衝突実験結果を「パートン」はうまく説明できたが、ゲルマンのクォークに取って代わられた。超流動や重力場の理論でも一流の論文を残したがパラダイムシフトを生み出すわけではなかった。
つまるところ、アインシュタインやシュレディンガーやディラックのように事物の根底に関わる基本理論を初めて打ち立てたわけではないのだ。それが「超」天才という名にそぐわない印象を与える。
もちろん『ファインマン物理学シリーズ』は歴史に残る名著だろう。だが、教科書は物理学研究のメインテーマではない。その人生は桁外れの出来事だらけであったというのも首肯できる。
TVニュースにもなったようにシャトル爆発事故を巧妙に再現実験してみせた手際はアメリカ国民にファインマンの姿を焼き付けるのに成功はした。それはカール・セーガンが『コスモス』で演じた役柄に似ていよう。
だからとって、超一流の天才というわけでもあるまい。
それにつけても、晩年の「ナノテクノロジー」の予言や量子コンピュータの考察は素晴らしいものだ。
それらはシュレディンガーが『生命とは何か』で行った科学的予言に比肩されよう。しかし、シュレディンガーはシュレディンガー方程式の三本の論文で、超一流の座を射止めた。あくまでも『生命とは何か』は余技である。
クラウスが皮肉るように、ファインマンは「伝説」を身の周りに張り巡らすことに、あまりにも多くのエネルギーを費やしたのかもしれない。
だから、カルテックの同僚のマリー・ゲルマンには「クォーク」で置き去りにされ、電弱統一理論のワインバーグには反感をもたれた。フェルミやハンス・ベーテのような学派を形成することもできなかった。
もちろん、ベーテ以上の業績を残した学者としてファインマンを評価はできよう。だが、原子炉を作り上げたフェルミには一歩譲るであろう。
150名のファインマン研究室の卒業生はパッとしないとクラウスも言う。シュヴィンガーの教え子にグラショウがおり、ゲルマンは自分の共同研究チームにグラショウも抱えこんでいる。
クォークで名を挙げたゲルマンはファインマンの宿命のライバルでもあった。だが、ゲルマンは孤立することなく、後年複雑系で有名なサンタフェ研究所創設にも参加した。
ファインマンの研究室はその技を継承する弟子も育成できずに終わった。結果、彼の孤独な物理学者としての姿が浮かびあがるのだ。そう、彼は孤高の存在となりはてた。
こうして、驚くべき研究成果の多彩さと絢爛豪華な人生を歩んだかのように見えるファインマンの学問上の業績を一歩離れてみれば、その中心線を貫いているのは「最小作用の原理」としての経路積分であるというクラウスの評言は正鵠を射ているような感じがしてくる。
【参考資料】
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素粒子の標準理論や電弱理論などの創設者たちの相互関係をこの本ほど詳細に示した本は少ない。ところで、湯川秀樹や朝永振一郎は日本に有力な素粒子研究者グループを生み出している。
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