サイエンスとサピエンス

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アインシュタイン、宮沢賢治とマヤコフスキー

 20世紀の最初の30年間は、よほど人類の知性と情熱が高揚した時期だった。21世紀も15年経過したけれども20世紀のあの時期に比べると理想の乏しさと知的高揚の貧しさは言うを待たない。酸素不足の精神状態は比較しようもない。
 例えばアインシュタイン特殊相対性理論や一般相対論はほぼ出揃っているし、量子力学も芽生え始めたのが20世紀の最初の30年であった。
 そして、同じ頃に宮沢賢治(1896-1933)とマヤコフスキー(1893-1930)が活躍している。ほぼ同世代。37年という短い生涯を果敢に疾走したのは同じだ。
 置かれた文化も国柄も民族や伝統、イデオロギーも異なるのだが、二人の詩人はアインシュタインへのシンクロナイズという意味で注目すべきだと思う。

 ロシア革命にインスパイアされ成長したマヤコフスキーは、ロシア革命の幻滅により絞め殺されるように自殺した。亀井郁夫の研究で克明に紹介されているように、ロシア革命スターリン主義的退嬰が多くの芸術家を粉砕してゆくのだ。
 マヤコフスキーの天才はモスクワの仲間たちとの絆により未来に向けてほとばしった。
 1912年(大正元年)の「社会の趣味への平手打」という共同宣言を読むと青春と才智とみなぎる自信が伝わってくる。

1 自由に派生した言葉で語彙を増やすこと
2 既成の言語を徹底的に憎悪すること
3 彼らの高慢な頭から風呂場のタワシで作った安物の栄冠を恐怖をもって払いのけること
4 野次と怒号の海のなかで「われわれ」という言葉の岩の上に踏みとどまること

『ウラジミール/マヤコフスキー』『背骨のフルート』『ズボンをはいた雲』などで大衆への同情と共感、自分の感情とその爆発的閃き、途轍もないところから言葉を取り寄せ見事な詩句に折りたたんで寸分違わず情景を表現する。その空想力やイメージ喚起の巧みさは驚くべきものだった。

聞け!
星があかりをともすからと言って、
それはだれかが言い張るからだと言うのか?
星はだれかの欲望にこたえているのだと言うのか?


 それに引き換え、宮沢賢治は東北地方にあって深い理解者もなくただ一人、空想と科学それに法華経に親しんでいた。だが、そのイマジネーションは片時も彼を見捨てることなく、地域色と自然交流に溢れた多くの作品に芳醇さを付与している。『春と修羅』の多数の詩は時空と生命を超える共感力と独創的な言い回しによる異世界創造という点でマヤコフスキーに比較できよう。

 その序文を引用する。

みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは自聖紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます


 アインシュタインの四次元時空への共感が両詩人を魅了したことが何よりも関心を惹きつけずけにはおかない。
 大正11年にアインシュタインが来日。国内に大旋風を起こした時期に宮沢賢治は26歳、農学校勤務が始まり自由を謳歌していた頃であった。彼の詩や遺構には四次元思考の痕跡が幾多も残る。1926年の『農民芸術概論綱要』の「おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか」には直截にそれが現れていると谷川徹は指摘している。


 一方のマヤコフスキーはどうか。友人の言語学者ヤコブソンから欧州でのアインシュタインの業績を聞き知らされる。ヤコブソンによれば彼は非常な関心を示した。

 死はなくなるだろうと僕はすっかり確信しているのだ。死者は復活させられるだろう。僕はアインシュタインの本を噛み砕いてくれる物理学者を見つけるつもりだ。

 マヤコフスキーアインシュタインに挨拶の電報を、未来の芸術から未来の科学に向けて打つ計画を建てたほどだ。

 時間の垣根を蹴破ろう。....世界は水曜も、過去も、いまも、つねも、明日も、今後何世紀も、このままだろう

                       詩集『一億五千万』より

 彼の「人間復活研究所」では死者の甦りを実現する。それは詩人の空想であり、信念でもあった。この唯物論神秘主義を「モスクワのソクラテス」、フョードロフから受け継いでいる。
 ヤコブソンによれば、自殺の前夜までマヤコフスキーは「アインシュタインの未来主義的頭脳」を評価していたという。

 宮沢賢治は妹のとし子の死を悼むオホーツク挽歌で、その別れを四次元方向への辞去として詠っている。

とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通って行き
それからさきどこに行ったかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じようとするときは
だれだってみんなぐるぐるする....

 賢治がこのビジョンをもつに至ったのはアインシュタインの理論がキッカケだとしてもおかしくない 
しかし、賢治はフョードロフではなく、法華経の行者日蓮の信念にしたがって、兜率天での再会を夢想していたのだ。賢治の宇宙観とマヤコフスキーのそれでは死者の甦りという深淵で奇妙な触れ合いがあったというべきであろう。

 深く万人に共感を呼び起こすような、同時代的での科学と詩の交流は、もはや21世紀には起きていない。それこそ、人間精神の貧困を示しているのではないだろうか?



【参考資料】
 賢治の情報はこの有名な本に依拠した。

アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃 (岩波現代文庫)

アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃 (岩波現代文庫)

 マヤコフスキーアインシュタインに関しての情報源。彼の詩の訳もこの本から引用した。

ヤコブソン・セレクション (平凡社ライブラリー)

ヤコブソン・セレクション (平凡社ライブラリー)

 バウラの名著。マヤコフスキーの評価はこの10章から

現代詩の実験

現代詩の実験

 異端の哲学者フョードロフの評伝と紹介。水声社は個性的な良書が多いなあ。

フョードロフ伝

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