サイエンスとサピエンス

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岩波全書というピーク

 その昔、岩波全書は市民に開かれた知識と学問の窓であった。昔といっても昭和時代のこと。それを戦前の目録から、垣間見てみよう。

 手元にある最古参の岩波全書『航空計器』(1941)から、その発刊したばかりの全書の目録を掲げる。おそらくゼロ戦などの戦闘機の設計者たちは手に取ったはずの本だ。

80年前のホコリっぽいB4サイズの本の最後のページに刊行書目はある。

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岩波全書刊行書目1

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岩波全書刊行書目2

 本書の刊行月の1941年11月は太平洋戦争の前夜だ。航空計器は、まさに、戦闘兵器として航空機の開発に全力を注いでいたはずの、その重要な先端技術の一つであろう。

 数学の書目と著者をみれば当代一流学者たちによる大学教育向けのものとわかる。線形代数の教科書「行列及び行列式」の著者は東北帝国大学の藤原松三郎だ。

微分学』『積分学』の著者掛谷宗一は新進気鋭の数学者でアメリカ留学から帰朝したてなのだろう。吉田洋一の『函数論』には自分もお世話になった。第2版であったが。

 『宇宙』『天体物理学Ⅰ』『小惑星』『地震』など天体や地球に関する書目は物理学以上に充実している。『地球物理学』の著者には寺田寅彦の名前もある。この時期には故人となっているはずである。『気候学』の岡田武松は国内の気象観測網を拡充させた人物だ。

  この中には出てこないけれど、畠山久尚の『気象電気学』(1955)は貴重な学術書であった。なぜなら、この分野の手頃な参考書はほとんどないからだ。雷を扱った本はあるのだろうが、大気の電磁気現象というスコープでは希少だろう。例えば、ISSから観測されたスプライトのような事象はどうなっているであろうか?

 21世紀の最先端の状況はどうなっているであろうか?

 

 化学については11分野もある。生物は5分野だ。

なんと言っても象徴的なのは工学の書目であろう。

 蒸気機関ディーゼル機関、水車!、歯車、電気機関車、鉄筋コンクリートなど物珍しい書目である。

 2ページ目の人文科学の著者のほうが現代人にも名が通った学者ばかりである。たとえば、京都学派の人々が哲学系では顕著である。西田幾多郎田辺元波多野精一の本は岩波文庫になっているはずだ。哲学の方が賞味期間が長いわけである。

 私見では実用性を重視した出版物として、岩波全書はフランスの百科全書の正当な末裔であった。

 当時として先端の学問が市民にも開かれ容易にアクセスできるようなったのは、おそらく岩波全書が国内で最初でなかっただろうか?

 今日では印刷物以外にもWeb、TVや電子書籍など学びの場は多様化されて、1940年代よりはるかに容易にアクセスできるようになった。なったとはいえ、質が伴っているかどうか、その提供者が真に学の本質を説明しているかどうか、となると判断しようもない。選択の自由が多い分、受けての迷いも多くなろう。それに当時と異なり、市民に知識と学を開放しようとする熱気のようなものも失せているのではないだろうか。

 今日でも岩波全書は伝統を継承してはいるが、昔日の面影はあまりないように思うのだが、読者諸兄はいかがに思うであろうか。