サイエンスとサピエンス

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近代的な自我の目覚めの史的起源はいつ、どこに

 明治時代の知識人や若者たちは欧化の衝撃にさらされて、目覚めと混乱のちまたにあった。北村透谷のような人物は自由民権運動だけで飽き足らず新しい文学による自己実現に果敢に挑み、挫折した。「文学論」の夏目漱石も「普請中」の鴎外もそうした苦闘の記録を残してくれている。

 個の目覚めというのは、選択と権利の自由であり、伝統的規範から解放されて、未知未踏の新世界に旅立つことであった。他方、それは自由さの故の迷いと苦悩と孤立を意味していたのだろう。

 そうした欧米文化における「自我」の在り方を象徴的に示している記録として、「自伝」というジャンルがあると思う。それも「自由さの故の迷いと苦悩と孤立」の遍歴を世に問う、そういう自伝が自我の証明になると思う。我が平安時代日記文学とは次元が異なるものだろう。平安朝の貴族に西洋的な個、自我がないと論証するのは難しいけれど、アウグスティヌスの自伝と紫式部日記を比べると主体性の幅と選択と行動の自由さに格段の差があるのは確かだろう。平安朝の貴族に価値観や信仰のゆらぎなどを求めてもしょうもないことだし。

 アウグスティヌスの『告白録』は西洋的自我の始まりの場所に近い時代と場所に発生した、と言いうるだろう。

 そう考えるわけは、この初期キリスト教の教父はローマ帝国末期に生き、異教が沈み巨大な文明が瓦解するのを目の当たりしていた。激動の時代の目撃者であったからだ。

 彼の死後、四半世紀も経ずに西ローマ帝国は滅亡する。

 アウグスティヌスは初めからキリスト教信者ではなかった。母モニカはカソリック信者であったが、彼は自由気ままな青春時代をおくる。30にしてキケロの「ホルテンシウス」を読み、哲学的に覚醒する。

 自我に目覚めるその前から、後悔と自責が回顧される、以下、引用は岩波文庫版からだ。

はじめに神を呼び求めたのち、出生から十五歳に至るまでのことを回顧して、幼年時
代、少年時代の罪を語り、その頃遊びにふけって学問をおろそかにしたことを告白す

 この後、異性関係が赤裸々とまではいかぬが、内実に踏み込んでその経緯が語られる。そういうところも他の文明圏にはほとんど見られぬ回想であろう。異性との関係を罪悪視それを告白するのは、西洋文明の自伝の特徴といってもいいかもしれない。

 当時、盛んだったマニ教に入信すること十数年。飽き足らぬ思いを抱きながら、プラトン対話篇やネオ・プラトン主義に知的に触発される。しかれども異教徒の哲学では十分に満たされない。

マニ教の有名な司教ファウストゥスに会ってその無知を知り、その宗派において進歩しようとする意図を捨てた。母の意志に逆らってローマに行き弁論術を教え、同じ学を教えるためにミラノに移る。たまたまアンプロシウスに会い、しだいにカトリックの信仰に対する誤解を悟る

 

 ようようにして、友人知己のクリスチャンに誘われるようにしてカソリックに入信するのだ。この偉大な人物はここに至ってようやく安心立命をようやく得たのだ。

 この多くの価値観と信仰の間での迷いと遍歴は「個」そのものの成長を暗示しているだろう。一神教そのものも自我というものを規定しているのではないかと思う。神を信じる意志の自由があっての入信なのであろう。明治期にキリスト教徒が増えたのも無理からぬことだ。

 つまり、西暦4世紀に近代文明の祖型であったローマ帝国が没落すると同時代的に、あるいは反時代的にキリスト教という唯一者を信じ、絶対者と個人を直接対面させる宗教が沸き起こる。それを媒介したのがギリシア哲学という「自分で考える」思想だったのだろうというのが、一つの解釈だ。

 以後、西洋文明を特徴づける「自我」という新鮮で強力な「迷妄」が思想をリードしてゆくだ導火線になる。西洋の覇権の確立にともない、20世紀までにそれは世界に拡散する。

 「迷妄」というのは、結局、それも否定される運命にあるからだ。

 

【参考文献】

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告白 I (中公文庫)

告白 I (中公文庫)