ソ連の自然科学の生産性は他の社会主義政権の国々とは違って、その崩壊まで高いレベルを維持していた。それはコルモゴロフの生涯を参照すればうなづけるだろう。
フォン・ノイマン亡き後、アンドレイ・コルモゴロフ(1903-1987)は最大の数学者のひとりだったことは間違いあるまし。しかも、その長い晩年まで彼の創造性は尽きなかった。
モスクワ大学でのコルモゴロフの弟子としては、ウラジーミル・アーノルド、イズライル・ゲルファント、ヤコフ・シナイなどがおり、多士済々といった観がある。
力学系のKAM定理に師弟の名前が仲良く並んでいる。系譜は違うがマルコフやリヤプノフも忘れてはならない数学者だろう。
また、ポアンカレ予想を解決したグリゴリー・ペレルマンはコルモゴロフの学派とは別系統のペテルスブルグ大学の数理物理の流れを引いている。具体的には、Vladimir Fock(1898-1974)からAleksandr Danilovich Aleksandrov(1912 – 1999)という師弟関係の流れだ。
また、ミレニアム懸賞問題の一つであるP≠NP予想 - Wikipediaが重要になったのはソ連のレオニード・レビンの貢献が大であった。レビンもまた、コルモゴロフの弟子である。
ところで、コルモゴロフは彗星のように突然現れたのではない。解析集合で著名なルジン(1883-1950)が先導者としていた。日本ではルジンの問題のほうが名が知られているようだ。しかし、彼は政治的陰謀によって追い落とされた。ルジン事件(1936)である。彼の学生であるパベル・アレクサンドロフによるものとされる。
ルジンのモスクワ大学における指導教官はエゴロフであり、その師匠のペーターソン(1828-1881)が幾何学のモスクワ学派の始祖とされる。そのペーターソンを育てたのがドイツ人のミンディングだ。微分幾何学の権威の一人でもあった。ヤコービの同時代人だがドイツでの教職を得られず、ロシアのドルバド大に赴任した。そこでの学生がペーターソンだったわけだ。モスクワ学派の系譜はドイツ数学に連なるのだ。
というわけで、ソ連はその晩期に至るまで、数学分野で生産的であった。ルイセンコ学説のような妄説により破壊されなかったのは幸いであった。スターリンには見えんな分野だったからだろう。かくて、ソ連はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ポーランドと並んで数学強国であった。日本はその後ろに入るだろう。
(あまり本筋と関係ないが、ラテンアメリカやスペイン、ポルトガルはどうして著名な数学者を生み出さないのだろう?)
昭和後期には自然科学の教科書や参考書でソ連圏は圧倒的な存在感があったのを覚えておる方もいよう。スミルノフやポントリャーギン、シュポルスキー、ランダウ=リフシッツなどだ。それに今でもロシア圏の理系の参考書はそれなりの価値があるようだ。
ある意味、ソ連圏での計算機や半導体や民用の電気製品や自動車などでの技術開発力の低迷を考えると不思議な感じがするのですが、どうでしょうかね?
数学研究は人のつながりと蓄積が大切だといことでしょかね。
ルジンの業績については本書が詳しい。