サイエンスとサピエンス

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不可能性の四品種と無の5種

 子ども時代に感銘を受けたSF『不可能性の四品種』というノーマン・ケーガンの作品がある。尖がった数学科の秀才、つまり「アンファン・テリブル」が技術的な不可能、科学的な不可能、論理的な不可能を超えた第四の不可能を突き止める、みたいな壮大な空論だった。

 古代インドでも因明による壮麗無比な空論が発達した。そのうち、大きな共鳴を持ったロジックが「無の分類」であります。

ヴァイシェーシカ・スートラ』についての宮元啓一の要約&翻訳を引用します。

先行無  〔結果である実体は、それが生ずる以前には〕運動や性質といった標印がないから〔認識できず、したがって〕非有である。

破壊無  有〔である結果は、破壊ののちは〕非有である。

交互無  〔たとえ〕有であっても、〔《牛は馬ではない》というように、ほかの有の否定によって、また、《荷物を運ばないからこれは牛ではない》というように、因果関係によって〕非有である〔といわれる〕

絶対無   そして、有とは異なる〔絶対無としての〕ものも非有である。

関係無   《家に水がめがない》という場合には、有である水がめと家との結合が否定されている。

 このうち、絶対無はいまいちほかの無との差異が不分明である。

 しかしながら、無について突き詰めていくと5種に分かたれるという強靭な空論力は見上げたものだ。論理学は文化非依存というのは思い込みなのかもしれませんね。

 

 

ケーガンの短編を探し出すのに苦労したけれど、ジュディス・メリルの傑作選ではなくて、ウォルハイム&カーのアンソロジーに含まれていた。

 

 京都の出版社が出している法蔵館文庫は細切れにされつつある現代人の心を修復するようなラインナップだ。