アメリカSFの見出しに似ているお題で顰蹙ものだが、ここで問いかけたいのはテレパシー、千里眼、念動などの実在を主張する超心理学が、通常科学から排除される、その要因を少しでも明らかにしたいのだ。
端的にいえば、超心理学者たちが統計的に有意であるという実験結果をいくら積み重ねても、ScienceやNatureといった権威ある雑誌に正統派科学論文として取り上げられることがない。大半の自然科学者(メインは物理学や化学、生物学や気象学地質学などの研究者など)には受け入れられないのだ。
両者の論争は倦むことがなく繰り返されているが、何ものも産みだしていないとからかわれる。
あのマーチン・ガードナーやスマリヤンなどの疑似科学批判者も介在して、鋭い批判を繰り出した。論争の終息の見通しは立っていない。両者とも故人であるけれど。
いや、現実の話としては、両者の溝は埋められず、通常サイエンスはテレパシー、千里眼、念動などを相手にせずという立場は確立しているようだ。
「相手にせず」というのは、もう少し、掘り下げれば、「テレパシー、千里眼、念動などは自然科学の対象ではない」というスタンスと同値である。
境界は確定しているというのが、大方の正統派自然科学者の認識であろう。
自分はどうして境界がそうなったかについての根拠として、クワインの全体論を持ち出して説明してみたい。
20世紀のアメリカ固有の最大の哲学者であるクワインは、論理実証主義の洗礼をうけながら、独自の分析哲学を生み出した。
自然科学は個々の命題や法則を提唱しているのではなく、定義群と命題群、法則のセットの連関した体系を保持し、その枠内での事実と法則の研究を行っている。
それゆえ単一の実験で法則がひっくり返されることがない、というような決定実験の不可能説も出てくる(デュエム=クワイン説)
これそのまま、超心理学者たちのポジティブな実験結果に対して、通常科学の論者たちが示す反対論が当てはまる。
思うに、超心理学は通常科学の依拠している連関した体系とは相いれない要素を持っている。
哲学者C.D.ブロードがESPについてまとめている。それは未来にも侵入する(因果律違反)、それは距離による減衰がない、それは物体との媒介なしの相互作用をする(実体がないとしか言えない)、それは人体の器官との関係がないし、学習効果もない。
その他、再現可能性や物理的要素の制御、新しい事象の予測などであるが、ここでは、超心理学の対象の可視化不可能性(いつまで経ってもブラックボックス)と非局所性をあげておこう。
超心理学側が容認するこうした超常能力の性質は、いずれも、自然科学の大前提と相容れない。いわゆる科学哲学の通約不可能性である。
【参考文献】
超心理学の論争にまつわる 原典を集めた貴重な文書。著者はESPシンパであるが、偏った思考の持ち主ではない。どうして泥仕合になるかがよく分かる。
イギリスで心霊現象を真面目に科学にしようとした人々の悪戦苦闘を描くノンフィクション。実に涙ぐましいドキュメントである。
この科学社会学の論集では、超心理学論争を二つの専門家集団のコンフリクトとして扱っている。面白い論点ではあるけれど、外野の野次馬といえないこともない。ただし、高級な知能の持ち主の野次馬なのだけど。
クワインのホーリズムは拡張版として相対主義を許容する。超心理学の全体論は通常科学の全体論と両立可能なのだ。であるが相互に理解することはできない。
他方、問題の根源は超心理学者たちは通常科学として認められたいという身もだえするような願望があることだ。超能力の実在とはどういう意味を持つのか、超心理学側も
再考するべきだと考える。