サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

ニッポン他己礼賛

良識のある他の文化圏の日本感をちょっと覗いてみよう。
日本庭園の美と巧み、繊細はあまねく知れ渡っていると思う。
フランスの文化人ブノア・メシャンの言う事を聞こう。

ついに日本の庭は、一造園家の作品というよりは緑の塊から刻み出された宝石、芸術的に変貌を遂げた自然のひとひらと見えるまでのものとなったのである

 この目配りのきいた書では各国の庭園文化を紹介している。分量的には(母国)フランスが一番、二番目がイスラム(アルハンブラ宮殿があるのだ)、三番目は日本である。その文中には未だ見ぬ国、日本の庭への憧憬が満ちている。メシャンはナチ協力で投獄され、その獄窓に小さな庭を作ったという。そうした小さな自然への目線が、遠い東洋の庭園写真を透過したものが上記の引用に結実したのだろう。

 自分も名園というわれるほどの庭のいくつかを散策してみた。いずれもシットリとした造作の優美さや歩くにつれ移り変わる景色の変化の妙は細心の意匠から発したものとうかがわれる。
が、それ以上にその箱庭感覚が愛わしい。これはどこまで通用する感覚なのだろうか。
中国の庭から派生した日本庭園。中華からの出藍の誉れを担う日本庭園は何ほどか民族風土を反映した姿見となっている。

庭園の世界史―地上の楽園の三千年 (講談社学術文庫 (1327))

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 その一つの極みは桂離宮であると思う。「月の館」としてNHKで放送していたのを観て思いを深くした。「桂」は月桂樹からも知れるように月にまつわる樹木である。桂浜のように月見に向いた地形に桂を冠したようだ。
桂離宮の志向する先は月見であると思う。庭も建てものも自然から自生したかのような錯覚を西洋人に与えるらしい。

NHKスペシャル 桂離宮 知られざる月の館 [DVD]

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 十年前に物故した神話学者ジョゼフ・キャンベルもそうした自然と霊的に調和した日本庭園に興味津々だった。日本を訪れた経験を決して忘れないでしょうと次のように語っている。
 

(日本には)自然の美と自然との協力とに対するすばらしい関心がありますから、日本の庭園のいくつかでは、どこで自然が終わって人工が始まっているかいるのかわからない。これはすごい経験でした。<<

 自然の力を感じ取る能力があったキャンベルは、造作と自然を区別しない人工物を創り上げた日本庭園の精神に圧倒的な聖性を感取したのだ。堕落以前の自然がそこに蘇っているのを感じたのだ。

神話の力

神話の力

 自然科学者の意見も引いておこう。ルネ・デュボスである。彼の著作の序文に言う。

とりわけ私が感嘆させられたのは、樹木や池や岩を処理、配置してそこから自然の隠れた美と内なる真実とをひき出すしている、その手法でした

 何について褒めているか原文には目的語がないが、明らかに日本庭園である。フランス人は先にでたブノア・メシャンのように、こうした感慨を持つ人が多い。
『内なる神』の序文であるのも象徴的だった。

内なる神―人間・風土・文化 (1974年)

内なる神―人間・風土・文化 (1974年)


閑話休題
 和食も世界に喧伝されて久しい。それは識者からどう評価さえているか。英国の歴史学者フェルナンデス=アルメストの通観史的な「食べる人類誌」は通俗的な日本料理の紹介本よりはもっと客観的な判断を下しているが、それにしても和食をこんな風に褒めている。

格調高い料理の極致は、たぶん懐石料理だろう。皇室をもつ日本の伝統が生んだ優雅な料理である。懐石料理では、薄い小片、賽の目、若い芽、新芽、...小さな卵ひとつ、豆が三つ、などなどがそれぞれ一品になる。舌だけではなく、心を満たす、喜びのために選ばれ、並べられた料理の数々である。<<

食べる人類誌―火の発見からファーストフードの蔓延まで

食べる人類誌―火の発見からファーストフードの蔓延まで


 次いで衣服論だ。ルドルフスキは世界を広く見聞した文化人の代表であるが、その「キモノマインド」では日本の衣服をこよなく愛でている。身体に拘束的しばりつけられる洋服に比べてなんと便利で着心地がいいのであろう。

キモノ・マインド (1973年) (SD選書)

キモノ・マインド (1973年) (SD選書)

 靴の文化論も彼の独壇場かもしれない。洋ものの靴ときたら見かけはいいが、第二の纏足といってもいいとするのが、彼の意見だ。

みっともない人体

みっともない人体

それに比べて、下駄や足袋は足になんとヤサシイ履き物であることか!!
 柳田国男翁が旅に出るおりの足回りの装いで漏らしている感慨は、現代人には、もはや遠い余韻のようなものでしかないのであろうか。