サイエンスとサピエンス

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日本が科学研究で西洋に与えたインパクト

 21世紀になってからも基礎理論や先進的な研究は欧米から到来するのが科学技術の常態だ。それでも、かつて日本は極めて短時間に西洋列強に追いついた事績がある。第二次大戦後の経済成長などよりも、じつはそちらの歴史的事実のほうが世界史へ与えたインパクトは大きい。
 明治維新後の1868年から日本海海戦の1905年までの37年間の大変身こそがそれである。*1
 将軍とサムライの支配した封建制から鎖国をといて、半世紀も経ずして西洋列強の一角を打ち砕き、5強(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシア)と並んだわけだ
 アジアや中東諸国、東欧に与えた日本海海戦インパクトはよく知られている。だが、それ以上にヨーロッパ列強諸国の政治家、軍人、知識人、人種主義者たちを戦慄させたのだ。
 ここでヨーロッパ人たちは設問を仕立てた。
 なぜ、伝統的な西洋学問の基盤すら知らない「紙と木の国」が自ら小型の甲鉄艦を操り、バルチック艦隊を撃破できたのか、と。
 幾つかの現象が指摘された。以下がその要約である。

1)リベラルアーツを重視し実験科学を軽視するヨーロッパの風潮が日本ではなかった。むしろ、1877年に創設された東京大学は理学部と工学部を中心とした実用重視の大学であった。当時の先進国ドイツですら1870年以降にそうした大学が生まれたばかりだった。
2)個人の探求と研究に偏る西洋とは異なり、日本は始めから国策への貢献を科学技術の目標としていた。つまり、選択と集中を意図的に実行した。「富国強兵」である。すべての努力は経済活動しての工業力と軍事力に注ぎ込まれた。
3)日本の「翻訳」文化の底堅さは西洋人には想像以上のものだった。例えばの話し、江戸時代にニュートンの学説が紹介されているが、そこで志筑忠雄はGravityを「重力」、inertiaを「慣性」と訳している。
 このセンスとパワーが至るところで国民精神を底上げする。進化論や宇宙論を明治人たちは諸手を挙げて受け入れた。たぶん、欧米の諸国民ではまったく事情が違うであろう。


 科学史家のフラーに倣って中世のイスラム科学の勃興と比較するといいかもしれない。西洋人はイスラム科学のベースにはヘレニズム、とくにアリストテレスなどの巨大な学問的遺産継承があったということを知っていた。
 イスラム科学が、ギリシア精神を受け継ぐ形で成長したのは歴史的事実だ。
 日本はそうした文化的背景がない。よって、19世紀までの列強諸国の政治家や文化人は
「日本では自然科学や技術が根付くことはありえない、少なくとも百年未満では起き得ない」
と見ていた。

 欧米の科学論争の系譜を考えると如何に日本の科学共同体が彼らと異なる体質かが理解できる。
社会生物学論争や初期の量子力学論争などが良い例だろう。E.O.ウィルソンらの研究が社会ダーウィニズムに染まっているという政治倫理的な論争が前者。後者はアインシュタイン対ボーアの量子力学の基礎の妥当性をめぐる討議だった。
 いずれも自然哲学や倫理学、科学としの適正さなどに関連する西洋科学の基礎構造を参照した文化闘争であったと言うこともできるのではないか。日本にてはそのような論争や適正さの議論は不要であるという慣わし&基礎構造がない状態にあるため、常に迂回してきた。
 江戸時代に志筑忠雄により地動説が紹介されたが他の蘭学者からいかなる疑問も発せられなかったのと似ている。

 余計な努力やヘレニズムの伝統、形而上学的な問いかけや宗教との関係などにエネルギーを削ぐことなく、ひたすらに「富国強兵」を突き進めたのがこの時代の日本なのだろう。

 だとするなら、科学者や技術者からは軍国主義に対しては「No」など言う精神状況にないのは自明かもしれない。また、究極の真理を探求する自律性なども弱くなろう。短期成長の歪みがあるのは致し方ないか。
 アジア諸国は、そうした日本の事例を学び、自国のナショナリズムを自前の「富国強兵」で実践してゆくことになる。

【参考文献】
 フラーの日本の科学発展論は欧米ならではの突き放した分析で、日本人の自己評価より示唆するものが多い。

科学が問われている―ソーシャル・エピステモロジー

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 モンゴメリも日本の翻訳事情を一歩離れてバランス良く論じている。やはり江戸時代に培った文化潜在力があり、その先カンブリア代爆発が明治時代だったのかもしれない。

翻訳のダイナミズム:時代と文化を貫く知の運動

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 最近、再刊されたハスキンズの十二世紀の西洋科学の再評価もイスラム圏経由でヘレニズム科学が再輸入(翻訳)されたことが西洋文明の成長の大きな機縁としている。つまり、18世紀以降の世界制覇に至るには数百年かかるものだという主張にもなるわけであろう。

十二世紀のルネサンス ヨーロッパの目覚め (講談社学術文庫)

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*1:十二世紀ルネサンスの議論も参考となる。