ムダ毛を抜いてすべすべお肌を実現するというサービス、それを脱毛産業と呼ぼう。これに敵対するわけではないけれど、ツルツル頭に毛髪を植え付けてフサフサにするサービスもある。これは植毛産業であろう。
身体の表現をめぐる資本主義的な競争のバトルフィールドが毛髪なのだ。これが同じ場所であればもっと愉快だったろう。残念ながら、スキンヘッドを目指すグループとハゲを隠すグループが対立するというような図式は現実に存在しないようだ。
両方の市場規模は拮抗しているのだろうか?主観的には脱毛産業の方が市場規模が大きいと推察している。バトルフィールドとなるのがほとんど頭髪だけであり、植毛産業が圧倒しているのは頭皮とまつげくらいだから、面積的に負ける。なぜなら、脱毛産業の我が物顔の所領は顔面、手足などおおくの身体領域におよぶからだ。しかも、広告も多い。
毛があるべきところにあり、無いと文化的に措定した場所には無いというのが「モード」であろう。そのモードに従って我々は植毛したり脱毛したりする。
例えば、睫毛はあるだけで不満足で長いほうが麗しいという規範があるので、人工的に延長する付け睫毛が植毛産業の一サービスとなる。髭は、最近では嫌われるので高精細なメッシュ仕様の髭剃り機のターゲットとなる。脱毛産業の草刈り場である。
しかしながら、毛のあり方を決める文化的措定はどのように生成されるかはあまりに複雑でダーウィン流の性淘汰理論からは論証できない恨みがある。
ダーウィンがダメならラマルクがある。用不用説によれば、使い込むとその部分がキリンの首のように長くなる。つまり、脱毛するほど身体はその毛髪が生存に必要であると判断し、毛根細胞をたくさん増殖させる...などという冗談を昔、吹聴したことがある。
科学的考察が及ばない分野は身近にもあるのだ。
なぜ日本人の青年は眉毛を剃り込むようになったか?
女性のワキ毛は明治期はムダ毛視されていなかったのにどうして脱毛産業の餌食に成り果てたか?
この明治期の手妻師(手品の古称)松旭斎天勝の写真をご覧ぜよ。
今どきの男性のすね毛はどういう扱いを受けるのか?なにしろ男性の自然的体毛すら女性の嫌悪の対象になるご時世なのだ。
鼻毛は飛び出てはならないとは誰が勅命を下したのか?江戸時代の人びとは鼻毛をどう思っていたのだろうか?江戸時代の文人たちの鼻毛の記録はあるのだろうか?
毛深い縄文時代の男性はヒゲをどうしていたのであろうか?
毛髪の歴史は深い闇に隠されている。言い換えると、毛髪の文化的コードの変遷は深く追求されていなかった。
髭に関しては現代新書でポップな分析があるので、それで代用しておこう。
だが、鼻毛の研究はないのが残念である。公害とともに鼻毛の役割はこの百年間で大きく変化しているはずなのであるのに。
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キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか デラックス (朝日文庫)
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上記の女手品師(水芸)の写真はこの本から引用した。
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余談であるが、かのボボボーボ・ボーボボは鼻毛を真剣に取り上げた。
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