サイエンスとサピエンス

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いわゆる「核」問題

 以下の議論はただのアナロジーに頼った随想である。

 原子核の「核」と細胞の「核」とは両者とも同じ漢字をつかう。そもそも
英語の原子核「nuclear」と細胞核「Cell Nucleus 」の翻訳に由来するからだ。
 
 20世紀の科学技術は、この両者の発見とさらなる破壊による発見と展開というのが主流であった。原子力は、ウラニウムなどの放射性物質原子核が分裂する際のエネルギーを取り出す。分裂時に発生する放射線が他の原子核に衝突して、連鎖反応を継続させる。その連鎖反応が爆発的に拡大するのを抑制することで、利用可能なエネルギーを安定供給するというのが、原子力発電の本質であると思う。勝手に爆発すると核兵器的になるのだ。

 一方の細胞核。生命が生殖=増殖する中枢機能が細胞核にある。
ここから核酸が取り出されゲノムという単位に伐り出された。その利用技術はPCRなどによって、自分自身や多様なタンパク質を大量複製できるバイオテクノロジーという巨大な産業の柱となった。創薬や品種改良に使われている。

 両者の類比点をまとめよう。二十世紀において、
1)「核」は自然界における安定的と思われていた構成要素と認識された。
2)「核」を破壊して、そのタネを無際限に増殖させる技術が確立した。

 この両者は、空間的に閉鎖されたなかでコントロール出来ていれば、有益この上もない恩恵を人類にもたらす。
 ところが、制御不可能な事態になると、原子炉の炉心溶融や核爆発、遺伝子組換え植物の花粉飛散や幾つかのバイオハザードにみられるように、微小で検知しにくいものが急速に「自己拡散」する可能性をもっている。
 自然界における安定的要素の破壊はもろ刃の剣といえるのではないか。それを完全に支配できるほど人類はまだ賢くはないようだ。