サイエンスとサピエンス

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伊福部の音楽で感じるゴジラとその象徴

 私的な感慨だけど、怪獣映画『ゴジラ』で描いているは、戦争の暴力性と野蛮性そのものだった。ゴジラの始原的なスガタは、戦争の姿、ゴヤの「コロッサス」だったんじゃないかと思う。

 終戦後の昭和の人びとは、戦前と戦後のあまりの落差の呆然と立ち尽くしたに違いないでしょう。戦前戦中に何を信じていたか、といえば自分たちが正義そのものだということ。
 ところが戦後は、完全に逆転してしまう。悪をなしたのは全部、大日本帝国という悪夢。なにか本質的なところで、ズレが生じていると思うんですな。

 まあ、戦中派伊福部昭ゴジラへの思いを聴いてみてください。

 


 とくに次の「マーチ」ですね、これは軍艦マーチであり、国防のパッションそのものでしょう?
 国土を破壊せんとする純粋悪に対して、敢然と立ち向かう、その情念です。今次の大震災に立ち向かうその情念と同じでしょう。

 そして、ゴジラへの防衛戦は無力でした。B29の無差別爆撃に無力であったのと同様です。
 呪われてあれ、カーチス・ルメイ


 戦中に活躍期を迎えていた伊福部は反戦でも好戦派でもなかった。太平洋戦争の開始での、その感慨はこの曲にいくぶん込められているんじゃないかと感じます。

 つまり、おおかたの国民は陰謀めいた満州事変や日中戦争と違い、英米連合軍への宣戦布告は正義と信じていたのでしょうね。この開戦を愚かだというのは後知恵です。なにせ未熟な帝国は経済的にジリ貧に追い詰められていたのです。
 まあ、嘘半分にせよ「アジアの植民地から解放」は五族協和とかいって「マニフェスト」化していたのですから。 大半の国民が洗脳されていたというのもあるかもしれませんが、大義がなくはなかったのでしょう。ところがやってきたのは、B29の無差別爆撃とヒロシマナガサキのジェノサイト。これは純粋悪です。帝国の防空戦は果敢でしたが、彼我の差は隔絶していました。
 そして、敗戦。
 ついには、騙された自分が悪いということになる。

 そんな感慨を伊福部の音楽と『ゴジラ』第一作から、感じてしまうのですね。

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