サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

考古学者らの非現実性の由来

 考古学の仕事の大半が墓あさりである。あるいは廃墟の最果てをほじくり出す作業である。死者を弔うというより死者を探り当て想像するのが彼らの仕事なのだ。けれども墓荒しという罪悪感は彼らにはない。
歴史家との違いは土中に証拠を求めるか、それだけではないかの差だけだ。
 地道を絵に描いたような彼らが歴史のロマンとかいうものを信じているのは、すごいことだ。これは、罪悪感どころではない。
 考古学者らは、一種の先祖帰りではないかと想像される。
その理由を述べてみよう。
 プレヒストリーの時代には先祖と現役世代、過去と現在という区別は曖昧だったらしい。道具や衣服は代々伝授されていたに違いない。何百年ものあいだ使われる道具なども珍しくはなかったろう。
 死者という区分は腐乱過程ではあったかもしれないが、ある期間(もがり)を経過すれば、子孫となって現世に再帰すると観念されていたようだ。服喪とはこの期間での死者への畏れを表現した儀礼なのかもしれない。
 古代人にあっては、土中の道具は死者のものというより父祖のもの先祖からのギフトとされていた節もある。
 やはり、このような生者と死者をそれほど峻別しない感受性は、古代的なものであろう。古い道具や生活の痕跡を有難がる気分もそうだ。
とどのつまり、考古学者らは、一種の先祖帰りなのだ。