サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

「シュレディンガーの鳥」を読んでも

 日経サイエンス10月号所載の『シュレディンガーの鳥を探して』は考えるサルに久々にしてくれた。副題が「生命の中の量子世界」とくる。
 マクロ系にも量子もつれがあると物理学者たちは信じ出している。原子や分子レベルで「不気味な遠隔作用」があるのは証明済みだ。しかし、鳥の眼のなかでもそれが生じて、渡りの方向感覚に寄与しているらしい証拠があると論文の著者は報告する。
 ERP論文で不完全さの論拠となった量子もつれは、いまや市民権を得ている。それは時代の変化だろう。時空を超えた遠隔作用はあるのだ。
 ここで世界観の再魔術化が待ち受けている。
ジョセフソンの研究が一例だ。ノーベル賞を若くして受賞したブライアン・ジョセフソン超心理学に量子効果を適用することに没頭している。「逝って」しまった科学者の一人だ。
彼は1980年代に『シュレディンガーの鳥を探して』と類似な主題で論文を書いている。
 両者で何が違うだろうか?
 ジョセフソンは生物個体を飛び越えてERP効果、もしくは量子もつれが物体間をぶっちぎりされずにリンケージしていると仮定していることであろう(多分ね)
 サイエンスの論文は控えめにコマドリの眼のなか、もしくは脳の中の量子もつれが磁場に対する感受性があるとしている。
 こうなると、素人目にはスケールの差だけだ。しかし、上記論文にはマクロ系の境目はないと明言している。つまりは量子もつれが個体を超えることを容認しているともとれるのだ。
「遠隔作用」はニュートンも苦しんだ。呪術や占星術から古典力学を形成するための産みの苦しみを味わい尽くした。
 そうこうするうちに量子力学が奇妙な遠隔作用を再確認する時代になったのだ。

 シュレディンガーの猫の応用型に「ウィグナーの友人」というのがある。生きているか死んでいるか不明な猫のゲージと一緒に密室の友人を閉じ込める。部屋の外から研究者が「猫はどちらかの状態になっているか?」と問う、友人は「Yes」だけ答えるバリエーションをドイチュが検討したそうな。研究者は猫の状態は知らないので多重状態に密室があるとする。友人は猫の状態を知っているので波束は収縮している。矛盾が起きるというわけだ。
 もう一つのパロディー版を考えた。
 友人は超低能なので質問の意味が理解できないのだ。答えることもできない。猫が死んでいるか生きているかもわからない。そうなると波束はどこでも収束していないことになる。知ることの意味を知っていないと観測できないといのは量子力学の観測理論の範疇か!?