人類が円を認識したのはいつのころだろうか。太陽と月が円と知るのは早い段階だったろう。
瞳についても同時期かもしれない。
多くの神話では右目と左目が太陽神と月の神になったりもする。
円が自然界に現われるのは「天界の回転」であろう。星星は北極星のまわりをゆっくりと円を描きながら回っている。バビロニア文明の神官らには天界の円は明確に認識されていたろう。その天文学はかなり進んだものだった。ギリシア天文学はその遺産を継承している。
ちなみに、西洋占星術はバビロニア天文学の名残りだ。
天界には円がみちみちているわけである。それゆえに円は至高の形状とされる。
大地が円と感じられたのは比較的後代であろう。そもそも天体を球でなければならないと論じたのはアリストテレスでありますが、それを大地に当てはめるのは、かなり分析的知性が必要だったろう。
樹木の切断面は円に近い。年輪を古代人はどう感じたのだろう。円を模倣しようとしている植物の努力を感じたのだろうか。しかし、天界の円ほどには完全性がなかった。
それを技術の道具としたのは巨石文明を残した人々だろうか。コロは車輪をもたぬ多くの文明が愛用したとおもう。丸太をそのまま巨石のしたに並べるだけでいいのだ。
その組織的な利用者はエジプト人だろうか。滑車や軸受なども地中海文明が発展させたのであろう。
ここでコンパスがでてくる。二股の木の回転を人為でなせば、完全なる円が地表に出現する。
中国神話の伏羲と女媧は定規とコンパスを持っている。洪水を治める創世神たちという立場の伏羲と女媧は治水技術的な技芸神でもあったのだろうか。堤防を構築するにせよ地割を決めるにせよ測地術が基本となったのは中国もエジプトもかわりなしということか。
円の歴史―数と自然の不思議な関係 (Kawade new science)
- 作者: アーネストゼブロウスキー,Jr.,Ernest Zebrowski,松浦俊輔
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