サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

新興国先導の新しいテクノロジーの不在

 いつものように新興国の経済から書きだそう。
 中国やインド経済の台頭が著しい。
 安い人件費と勤勉で優秀な人材がその根本にあり、それにITがその発展を加速させたとは、多くの人びとが認めるところだろう。
 この傾向がいつまで持続するかについては論議のあるところだ。
先進国に対する輸出による経済成長が一巡し、自国内部の経済発展が継起しなければならない。
それには、人口が増え、中間階級が増える限り持続するというのが内需拡大の基本だろう。

 経済成長の車輪の両輪というべき「イノベーション」を扱わなければ片手落ちだろう。
技術革新が成長のバネであり新興国自身がそれを生み出せるかどうかが経済発展の持続性の鍵だということだ。
 先に結論を出しておく。
新興国イノベーションはその経済成長にふさわしい内実が伴っていない

 現代のテクノロジーは簡単なものではない。いわば入れ子であり組み合わせであるテクノロジーの集合体になっている。
 エアバスボーイングの旅客機におけるイノベーションとは、材料の新素材と成型と重量軽減と組立方式と流れの制御に見合う制御システムとコックピットのMMIと製造過程での無数の品質管理のための計測技術や管理方法、管制塔システムや法規制への適合と...等々の無数の親子関係のテクノロジーの改修と微小進化から成り立つのだ。
 つまり、蒸気機関のワットや蓄音機のエジソンの時代のイノベーションとは違うようなのだ。
それには、一企業における多種多様なエンジニアリングのヒエラルキーとそれに関連するサプライヤーヒエラルキーがなければ成立しない。
 上記の新興国には、トップ企業があるが、それを支える無名の無数の企業ヒエラルキーがないも同然なのだ。
 例えば、太陽電池で世界一とされていた「サンテックの危機」に現れている。
 自前でのイノベーションはどうも身についていないのだ。
 それが下記の記事だ。
「「まだまだ中韓に負けない」ノーベル賞候補に名が挙がる日本人研究者の思索」での指摘は正しい。

 新興国の企業の成長方式はアルセロール・ミタルが典型である。その拡大の手法は、常套的な経営手法だ。仕入れを拡大してスケールメリットを出し、非採算部門を縮小しコスト削減する。基本的に新しい技術はM&A仕入れる。そこにイノベーションはない。
また、中国の製造業は少々成功すると不動産に投資するのがほとんどであるという。
 あるいはサムソンも別の類型なのかもしれない。デザインはAppleを模倣し、組立技術だけで優秀な製品を生み出す。新規技術による市場への挑戦はそこには希薄だ。東南アジアでのサムソンの伸びも機能を絞り込んでの程々の製品を投入することで獲得している。マーケティングの勝利なのだ。
 
 それがグローバル経営の手法だ。GEのウェルチがとった「戦略」がベースにある。短期的に業績評価を行い、負け犬部門はそそくさと切り離す。
 ところが、イノベーションを負け犬部門に思える部署で発生させることが多いのだ。モノになるイノベーションは大量の失敗から出てくるのだ。それに応えられない企業や組織は自壊する。
 その例が上記のリチウムイオン二次電池の開発だったりする。さらには、アーサー・ブライアンの技術進化の研究が、それを裏付ける。
 天文学研究からブライアンはこんな事例をあげる。
太陽系外惑星の発見の例だ。
 はるか彼方の恒星を周回している惑星を観測する技術はマーシーとバトラーにより1990年台に開発された。彼らがやったことは、惑星が存在することで恒星が毎秒数メートル揺れることを地球から観測することだ。そのためには多くの難題を自前で解決してゆかねばならなかった。
そのために9年の歳月をかけている。
 短期志向のグローバル企業や新興国の大企業は、そんなイノベーションは完成まえに見捨てるであろう。

テクノロジーとイノベーション―― 進化/生成の理論

テクノロジーとイノベーション―― 進化/生成の理論

 質より量の現状。内部格差がおおきく基礎科学、技術、生産を結びつけることには未熟さが目に付く。だがアメリカは日本より中国の底力を評価している。そんな現状を指摘して、日本との住み分けを提言している。

「科学技術大国」中国の真実 (講談社現代新書)

「科学技術大国」中国の真実 (講談社現代新書)