サイエンスとサピエンス

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放屁とフェミニズム

 過激なフェミニズム論者の女性といえども人前での男性族における人前での放屁の是非については黙して語らない。とくに家庭における放屁の男性の特権については政治問題でも人権問題でもないと信じ込んでいる。
 さりながら、この放屁活動の差異こそは男性優位を生物学的に規定するものであるというのが自分の主張である。
 しょうもなく下品なネタでしかも末節的だとそっぽを向く論者も多いであろう。
おおむねこの手の問題は軽んじられる傾向がある。
 しかし、放屁を行うことで男性族はマーキングをしていることにお気づきであろうか。
 自分の縄張りを臭気で主張する男性族に対して黙殺するのは性的な政治的人権的差別を看過することになる。
 それは、すなわち、自分のテリトリーを画定する権力誇示的な営為であるがゆえに、そこに囲繞された女性族や小人族(エルデシュ流に習えばイプシロンたち)はその支配下に収まることになるからだ。
 男性族の生物種として権力誇示に対して、フェミニズム論者たちはどう反論するであろうか。
 自分らも放屁によって縄張りする権利があると対向するならば良し。その意気を評価しよう。しかしながら、健全な女性は人前で放屁するのを恥じる傾向があるように感じ、それは如何に戦闘的なフェミニズム論者の女性も例外ではない。
 女性は女であるかぎり、お下品さを回避しようとする。それは子作り子育てをするための衛生的環境維持の営為に直通しているのだ。
 女性族も自分の放出する気体は上品なるがゆえに、男性族より上品だと感じているであろう。
 実際、男性族のいないところで同様な活動をしているのであるから、それはいい。もっといえば男性族の消臭するために我も男性族の面前で同様な行為をすると宣言するならば、それこそ男女同権となる。...それはそれで鼻持ちならない水掛け論になるかもしれないが。

放屁という覚醒 (人類学的放屁論のフィールド)

放屁という覚醒 (人類学的放屁論のフィールド)