サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

起源と限界の不可解性

 解決可能な問題ではない、そうした科学的な問題があると断言していいだろう。
意識の起源、人類の起源、宇宙の起源などはそうした問いだろう。あるいは科学の起源もそれに含まれるかもしれない。最初の3つの起源は自然科学的な問いであり、科学の起源はどちらかと言えば歴史的な問いではあるが。

 実は、その可解性を諦めように促してきたのは西洋における、科学哲学の思想系統であるとされる。
 カントは現在でも影響力を持つ『純粋理性批判』で起源の問いに関するアンチノミーをまとめてみせた。そして、アプリオリな能力により自然科学の時空了解の枠組みが人間精神に刻み込まれていることを証明しようとした。
 それより少し前に、ヒュームは因果的法則と帰納法の限界を示した。さらに降って、ゲーデルは数理論理学には証明不能な命題が無数に含まれていることを示した。
 とするならば、自然科学が依拠する基盤はそれほど確固たるものではないのだ。その観測事実の集合境界は普遍的な基盤ではない。ある有限な人為的な境界の内側でのみ、それが有効なのだ。
 例えば、100万年永続するような人工物は作りえいない、過去に遡って人類の起源を観測することはできないし、また、プランク距離より短い長さは計測できないだろうし、銀河系を超えた距離の恒星に到達することはできない。
 それが人類の活動境界というものだろう。つまりは、科学的知識や技術は恒久的で普遍性のあるとはいえない。

 であるからには、科学技術の有効な射程というものを明確化しておき、それが人類の直面する幾多の問題にどれくらい効き目があるかを見定めることができそうなものだ。言い換えると、全て科学技術で解決できるかどうかをアセスメントする、そのうえで問題を解決する手法を選ぶ、科学技術以外の選択肢を入れて選ぶということも考慮していい頃合いだと思うのだが、いかがだろうか?