2050年までに現代文明は幾つかの試練を乗り越えると予想されている。
食糧、水、エネルギーの絶対量の不足だ。人口増大している新興国が欧米型の生活に乗り換えることで、この危機はほぼ確実に到来するだろう。膨大な人口を抱えるインドやブラジルなどがそれに該当する。
ベトナム、ミャンマーなど東南アジア諸国も同じような傾向にある。
生活様式をもっと人口規模にあわせて適正化しない限り、欧米型生活様式(肉食や水洗便所やモータリゼーションなど)は同時多発的に破綻を招来するだろう。
役に立たないと文科省に見切りをつけられている人文系諸学はここでそのウンチクを活用すべきなのではないだろうか?
コンセプトとして提起したいのは「リトロスペクティブ・ライフ・エンジニアリング」だ。
して、このコンセプトで何をいいたいのか?
過去の人類の生活様式をVR/ARシミュレーションにより、幸福感とエコロジー度をオプティマルにするライフスタイルを歴史工学的に実証し、現生人類に提案することだ。
生活様式のVR/ARシミュレーションとは何を意味しているか?
過去の技術や生活空間、住空間を半ばリアルに再現し、試験者がその仮想世界で実験的に生活することで有効性を検証することを指す。
ひょっとしたら蒸気機関車や木炭自動車、人力車が日本の国土には一番適した交通テクノロジーかもしれない。また、ハイブリッドなコンピュータ制御の木炭自動車というのもありうるかもしれない。
このような多岐多様な可能性を、喪われた歴史分岐の行方を探るのだ。つまり、21世紀の我らはどこかで間違った歴史上の選択を行った結果、とんでもない袋小路に入り込んでいる。
その喪失されたオルタナティブな歴史と適正さ、持続性の高い生活様式を再び取り戻す試みだ。
どうにも夢想的な提起だろうが、このくらいの跳躍をしないと人類は21世紀中葉の試練にうち勝てないのではあるまいか?
いま起きてる地球温暖化は「ゆでガエル」現象そのものだ。緩やかな水温の上昇に気が付かないまま茹で上がってしまうカエルの愚かさは、現代人にピッタリの寓話だろう。