サイエンスとサピエンス

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中国の森林の歴史

 2016年に中国の森林面積の増加が世界各国中で首位であったと報じられた。『中国、過去5年の森林面積純増量“世界最多”』 
 国連食糧農業機関(FAO)が発表した報告書「世界森林資源評価2015」で、2010〜15年間での純増量でみた比較結果だそうだ。右よりの新聞社の記事だから信頼できそうだ。
 なによりも世界全体としては、森林面積の変化は-0.08%(2015年)と歯止めがかかってきたいようではある。

 それはそれとして、お隣の島国の住民として、ちょっとした安心材料ではある。
中国の森林面積については世界経済史の分野で論争の素材にもなったことがある。ポメランツの『大分岐』(2000)だ。1958年生まれの中堅経済史学者であった筆者の問題提起の書である。
 時期的には中国経済の著しい台頭もあり、科学革命と産業革命を背景にした帝国主義的戦略の欧米列強と衰亡期に落ち込もうとしていた清朝中国の分岐点が「1850年」にあったことを圧倒的な資料で裏付けた意欲作だ。
 森林資源の枯渇が石炭へと動力源をシフトさせることでヨーロッパは産業革命、動力革命を実現した。中国もこの時期かなりの森林資源を失っている。にもかかわらず産業革命へは移行しなかった。ほぼ同時期におとなりの島国は「富国強兵」にかじを切り、西洋の模倣を大々的に開始したにもかかわらずだ。
 ポメランツの関心事は同じ生態学的制約(森林資源の有限性)に直面しながら、イギリス、フランスと中国や日本の経済発展の経路の分岐がどこにあったかだ。
 そして、中国と日本のその後の100年の発展の経路も大きく差が生じる。中国は太平天国の乱、辛亥革命軍閥の横行、日中戦争中国共産党と国民党の内戦と動乱の時代が続く。
 そして、中国本土はかつてないほど荒廃する。
実は明治期の前半も日本の森林は荒廃する。国家体制の移行期の弛緩によるものではなく、やはり急速な産業国家への転換にともなう副産物であったのだろう。新しい庁舎、新しい学舎のような洋風の建築物の用材だけではなく、田畑の開拓や産業用の木炭のような用途が爆発的に増大したであろう。
 南方熊楠が体を張って反対運動を行った神社合祀令もその流れの一つであるが、やがて過伐採に対する反省が起きてくる。1897年には森林法も制定され、ようやく森林保護へと方向転換をようよう開始するのだ。日本の森林の大半はこうした林政の産物である人工林である。
 中国では20世紀の最後の四半世紀になって国家資本主義に方向転換を行い、積極的な経済政策と経済成長を目指すようになる。その結果、2000年までに国土の荒廃はそのまま共産主義政権の放漫政策を継続した(もっとも上田信によれば地域によっては植林に熱心な村落もあったというが、少数派であろう)
 1850年からの中国と日本の100年を比較すると森林面積の増減だけではなく、人口の増減も異なっていたことがわかる。戦乱の世が続いた中国の人口は減少こそしないが停滞期が続く。日本は江戸末期の三千万から3倍まで急速に増えているのは、富国強兵の結果といえなくもない。
 面白いのは(と言って良いかどうか)1850年の日中の中分岐が「反日」の始まりになっているという説があることだ。

【参考文献】
 欧米中心史観からグーンとズームアウトして東アジアと欧米を対比しながら生態学的観点も加味した新機軸が話題になった。アメリカ人しか書けないのだろうか。

大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成―

大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成―

 エコロジカル・ヒストリーと副題にあるが地域史であって、中国全土の動きが見えない。20世紀後半の中国の生態的状況はよくわかる。

 森林面積はやはり経済史の指標値となる。西洋、中国と日本の経済成長と生態的遷移の手際よい要約。

環境の経済史――森林・市場・国家 (岩波現代全書)

環境の経済史――森林・市場・国家 (岩波現代全書)

 ポメランツの研究の派生作品と言えなくもない。

中国「反日」の源流 (講談社選書メチエ)

中国「反日」の源流 (講談社選書メチエ)