サイエンスとサピエンス

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徳川日本の持続社会説 再説

 江戸時代の鎖国は文明国が比較的クローズドな環境で行った貴重な実例だった。
環境史家の権威ジョン・リチャーズはこういっているそうだ。

 近世社会において...林学上の知識と実践上の向上があったにもかかわらず、曲がりなりにもそれに成功したようにみえるのは徳川日本だけである

 今日の日本は先進国中でも有数の森林面積比を誇る。国土の66%が森林である。ランキングでは17位だ。
 これは、ある意味、江戸時代の遺産ともいえる。

 しかしながら、徳川三百年を通じて、森林面積が一定というわけではなかった。
 実は、元禄期までは森林破壊がかなりの程度まで進行し、治水や食料生産が危機に瀕していたいうのが環境史家たちの見解であるらしい。
 それをなんとか挽回したのが、幕府や各地の大名などの統治方式の変更であった。
その顕著な典型なのが熊沢蕃山の活動だとされる。彼は江戸時代の陽明学的エコロージストの先駆者として評価が高い。
 岡山の池田家に重用され、今のテーマに関しては治水面に関してその意見が取り上げられた。主著『大學或間』では洪水の元凶が山地における森林破壊にあることを喝破し、育林の重要性を幾たびも説いている。また、土を離れることの危険性を主張したりしている。彼の意見は洪水に苦しむ領主としての武士階級に響くところがあり、幕府からの圧迫や蟄居令が出るほどまでに影響力があった。
 蕃山は南方熊楠田中正造の先行的な存在であったわけだ。晩年は足尾鉱毒事件で有名になる渡良瀬川近辺の譜代大名のもとで、禁足させられていたというのも奇遇である。

 当時の日本は世界でも有数の恵まれた海からの海藻や魚などの水揚げがありはしたが、江戸期の人びとは国内で収穫した食糧を国内で消費することで300年間も列島に閉じこもりを続けた。人口もおおよそ三千万人程度で比較的安定していたと言えよう。
 その長い自立過程で奇妙な事実を見つけ出したのが歴史人口学の慶応大学派だ。代表格の速水融が見出したのが、こういう事実だ。

 家畜の絶対数はどこでも減っているが、いちばん減ったのは平坦部で、山間部はそんなに減っていない(もちろん絶対数は減ったけれども)。平野地帯ではほとんど家畜がいなくなり、いても家数数十軒に一頭程度、村に一頭か二頭しかいないという状況になった。当初は家畜が農耕に使われていた可能性が高く、四、五軒に一頭でも交代交代に使うことで、農耕の最初に鋤で土地を掘り起こす目的に使うことができたが、村で一頭になるともうできなくなってしまう。

 牛馬を耕作につかわなくなった理由は経済的効率性だと速水は推察している。とくに平野では「牧」を保持するのは無駄ということになったらしい。
 その結果として、「勤勉革命」なる事態が起きる。欧州では牛馬で耕作し、囲い込みで広い耕作地に変化していったが、日本の農民は朝から晩まで額に汗して狭い田畑を丹精して耕作する習慣となっていく。
 つまり、里山として人手を介して、植林、枝打ちを繰り返し下生えを除去し、田畑と一体化した循環型の環境を生み出していったのだ。それには牛馬よりは人力が好都合だったのだ。

 持続可能性=自給自足という観点で、エネルギー効率の悪い牛馬を排除して人が直耕するモデルは、たぶん今でも有効だろう。
さらに本土では「牧」のような草原は生産性が低い。宮脇昭の森林生態モデルがそれを裏付けているとここで指摘しておこう。
 「草原」よりは森林に差し替えたほうが、土地の生産性=土壌の栄養素の維持には有用なのだと彼は指摘している。

 数百年、あるいは千年以上も林内に家畜を放牧し続けると、下草層は完全に破壊されてしまいます。そしてやがで低木層、高木層も失われていくのです。最後には、棘があったり匂いがきつかったり有毒であったりするために家畜が食べない、矮生低木や草だけがまばらに生育する「矮生低木疎林」と呼ばれる状態になってしまうのです。

 欧米型の牧畜中心の食生活は持続しない。その証拠にヨーロッパの森林は18世紀までに大きく減少している。19世紀の産業革命前後に囲い込みがおこり、小作農をのぞいて一般市民は都会に押し込められている。無産階級が発生する。同時に海外の植民地化が進行している。溢れた人口は非ヨーロッパ世界の収奪に指し向けられたのだ。ポメランツの『大分岐』はこの視点が抜けている。

 魚つき保安林という概念も最近になって知られるようになったが、漁業が成り立つためにも森林は維持されねばならなかった。江戸期の森林保護はドイツと並んで世界有数のものであった。
 これはコンラッド・タットマンの『日本人はどのように森をつくってきたか』で世界的に知られるようになった。樹木が育成されるべき対象となったのはドイツと日本が歴史的に先行しているだ。もっとも日本林業史では常識だったのではあるが。

 江戸期の為政者と農民はそれを17世紀の環境破壊から学んだがゆえに、江戸時代の中期以降には家畜を減少させてみずからの生活スタイルを狭い国土で持続的に生存可能なように変化させたというのが、自分の仮説だ。別に意図して牛馬を排除したわけではなく、結果としてそうなったのであろう。

 ということで歴史人口学と日本林業史は、江戸期のエコロジカルなライフスタイルをそれぞれの観点で評価し、人類にとって有益なモデルを示唆していると言えないであろうか?




 【歴史人口学と森林の歴史的変遷の基本図書】

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

木を植えよ! (新潮選書)

木を植えよ! (新潮選書)


 『文明崩壊』のダイヤモンドは上記の説明と同じことが文庫版の下巻「なぜ日本社会は崩壊しなかったのか?」に論じている。江戸時代の持続可能性を指摘しているのが、さすが慧眼の生物学者ならではだ。

具体的には、ほかの社会では多くの土地の森林を荒廃させる原因となった、草や若芽を食べてしまうヤギやヒツジがいなかったこと、戦国時代が終わって騎兵が必要なくなり、江戸時代の初期にウマの数が減ったこと、魚介類が豊富にあったので、蛋白質や肥料の供給源としての森林への圧力が緩和されたことなどが含まれる。

 
本書には森林の重要性の指摘が至ることにある。しかし、森林と魚介類資源の深い関係についてはあまり記載はないようだ。

文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

 ダイヤモンドが参照した日本の森林の変遷に関する基礎文献。日本人は江戸時代末期には植林による森林維持を実践していた。それが明治維新で崩れるのだ。

日本人はどのように森をつくってきたのか

日本人はどのように森をつくってきたのか

 蕃山のエコロジー思想を紹介したのは室田武である。

 江戸時代の森林環境遷移と経済の関係を手際よくまとめた一般向け専門書

環境の経済史――森林・市場・国家 (岩波現代全書)

環境の経済史――森林・市場・国家 (岩波現代全書)


 持続性というと森林維持に目がいくが、それだけではなく、江戸期のリサイクル型の消費構造も評価すべきだろう。例えばハーバー=ボッシュ法出現以前には窒素循環が食糧生産の制約になっていた。それを江戸時代になんとかやり繰りできたのは、循環型の食糧と生産の流通構造になっていたことも関係していよう。