江戸時代の大阪町人の生んだ天才、富永仲基の大乗非仏説。その方法論が”加上の原則”の説であります。
富永仲基の簡勁にして雄渾な解説は内藤湖南先生の論評『大阪の町人學者富永仲基』を参照いただこう。
三つの原則をたてて教相判釈の非合理性を批判した。いわば近代的な原理から仏教発展史を客観的に分析したのだ。
一「加上」の原則
二「異部名字難必和會」の原則
三「三物五類立言之紀」の論理
ここではその「加上の原則」の説明を引いておこう。あとで述べるような自然科学の発展への適用可能性を吟味するためであります。
富永の「出定後語」の中にかういふ言葉があります。それは「加上」――加上の原則といふものを發見したのであります。加上の原則といふものは、元何か一つ初めがある、さうしてそれから次に出た人がその上の事を考へる。又その次に出た者がその上の事を考へる。段々前の説が詰らないとして、後の説、自分の考へたことを良いとするために、段々上に、上の方へ/\と考へて行く。それで詰らなかつた最初の説が元にあつて、それから段々そのえらい話は後から發展して行つたのであると、斯ういふことを考へた。それは「出定後語」の「教起前後」の章に書いてある。佛教の中の小乘教も大乘教も、――その大乘教の中にいろ/\な宗派がある、その宗派の起る前後といふものは、この加上の原則によつて起つて來たといふことを考へました。
内藤湖南先生は明治期の京都にあって、中国歴史学の伝統を打ち立てた学者であります。彼が富永仲基の再評価を行った。そして、自らも加上の原則を利用することで歴史の構造を研究したのであります。
自分の主観で加上の原則を言い換えておこう。
より時代を遡行した古のほうが、より正しく真理である。時間的に先行した古層に上位の存在がいる。
そういう原理で大乗仏教は自己発展してきたと解釈したわけです。しかも旧来の諸説を否定しさるというのではなく、併呑したり深化させたりしながら、瞑想と修行と慈悲の論理を成長させてきたと言える。
空海の『秘密曼荼羅十住心論』はその典型とも言えますが、富永仲基はその舞台裏をあからさまにしてみせたわけ。だからといって空海の思想的偉業は価値を減ずるわけでもないです。信仰を体系化するのとその成り立ちを究明するのとではアプローチが異なるだけなのだと思う。
自然科学の発展も大乗仏教の展開と似ているところがある。天の上に天をつくる、あるいは古きことより古いことを発展の原則とする大乗仏教とは、方向が異なるのは言うまでもない。
加上の原則ではなく「加下の原則」がある。より微細なものがより基本的である。天の上の天を真、より聖と見なすことの、逆張りで地の下の地を真となすのですな。
つまり、自然界の「真の姿」はより下部構造に理解を深めることで到達できるという原則だ。
ひとまず、当面の作業仮説と思っていただこう。
生物学がいい例だろう。生殖、発生、生理や形態、進化を説明するには細胞やその下部構造(核、ミトコンドリア、ゴルジ体、膜など)が不可欠である。20世紀後半からはタンパク質や遺伝子の構造や機能、変異ですべての生命現象を語ろうとするようになった。
宇宙論もそうだ。重力と電磁気学で、地球からの観測結果を紡ぎ出そうとしているし、それが下部構造、つまり元素、いや素粒子まで持ち出して、学者たちは尤もらしい理論を編み上げている。
複雑な事象に「加下の原則」が当てはめようとしているだけではない。
熱力学の法則も分子運動論と統計学から組み立てて、そちらがより「理論的=自然科学性」が高いとみなしている。
高等かつ数理的なお話しづくりが、これらの理論構築の推進力となっているという側面だけを取り上げるなら、加下の原則も当たらぬといえども遠からじだろう。
もちろん、「実験」との合致、整合性や異なる手段での「観測結果」があるではないかという反論があろう。
たしかに、加上の原則はもともと宗教的な発展とは無縁なので、そこはかなりの譲歩が必要になる。しかしながら、その批判にはクワインの全体論を持ち出して、観測というものがどれだけ理論と独立性を担保できるかというくだくだしく反批判はできるが、ここでは触れない。
もう一つ、この「加下の原則」に随伴する奇妙な事実をあげておく。細胞、結晶や元素、それにミクロとマクロの中間のミドルワールド、分子、原子とより「地の下」に「真の姿」を求めるとき、より高度で複雑な装置とエネルギーが求められるようになるのだ。
「真の姿」はより高エネルギーで高速で高精度な観測装置といったものの助け、喩えるなら地の下へのプローブ/掘削装置の介助によってはじめて、実験者の目前に立ち現れる。
自然界の「真の姿」を描くには多くのリソースを注ぎ込まなければならない。高級な機材、広大な敷地、多くの専門家集団を投入しなければ、先駆けて「真の姿」に達するのが困難であるとばかりに、現代文明は大量のマネーを投入するように宿命づけられている。
まるでゴシック様式の大聖堂やマヤの儀礼のピラミッド、仏教の大伽藍や大仏のように立ち現れるのが、興味深い。
【参考文献】
江戸期の大阪町人の闊達自在な思考と才幹を多くの文化人たちは評価してきた。ノーベル賞が近畿圏に多いのもその現れか。
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ある意味、週も内部での比較論を行った。もちろん、真言密教を至高の教えとする論説ではあるけれど、「三教指帰」と合わせると比較宗教学の先人と言えなくもない壮大な学説史となる。空海は天才であるのはこの一つといっても明らかだ。
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クワインの議論がトマス・クーンの「パラダイム・シフト」に流れ込む。クワインの業績は見直しが必要だろう。パラダイムもこれまた「加上の論」と似ているところがある。
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