サイエンスとサピエンス

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産業革命は繊維工業に始まるのはなぜか

 18世紀後半、イギリスに端を発する「産業革命」の主役は綿工業だ。だが、どうして綿工業なのか、がいつも不思議でならなかった。ニューコメンの蒸気機関、飛び梭の発明、ダービー父子のコークス製鉄法、アークライトの紡績機、ワットの蒸気機関、ミュール紡績機、それに力織機など一連の流れは綿工業を縦糸にした技術革命だ。
また、スティブンソンの蒸気機関車やフルトンの蒸気船などの輸送機械の革命も大量生産と大量消費に見合う流通機械化の産物であろう。
 人力の紡績を火力による自動紡績機械に置き換えて、その大量生産方式ととも大量消費が始まる。もちろん、イギリス統治下のインドの綿花栽培を東インド会社が仕切り、安く大量の原材料を仕入れることが可能となったのも一因であろう。イギリスの上流階級だけでなく一般市民がそれを購入し、引いてはフランスやドイツなどでもその消費が膨れ上がった。アメリカ南部の奴隷労働による綿花栽培も量産化に拍車をかけたであろう。
 このような歴史的事実は、「世界史」で叩き込まれるが、どうして木綿なのか、木綿(コットン)でならなければいけないのかは伏せたまま、いたずらに産業革命とは綿工業が中心なのだとひたすらに覚え込まされた。
 また、産業革命の歴史書生産側に重点を置きすぎている。なるほど囲い込みで労働力があぶれて、その労働者が工場や鉱山で過酷な環境で働かされたのは事実だろう。綿花栽培のモノカルチャーでインドやアメリカ南部、いや日本の在来の綿農家が苦しんだのも確かだ。でも、事実の半面でしかない。
 どうして木綿の衣服の大量消費が発生したのか、が不明確なまま産業革命を習ったような気がするのだ。

 これについて、堺憲一の『あなたが歴史と出会う時』にはやや踏み込んだ説明がなされている。

それまで支配的であった毛織物は、洗濯がしにくかつたので、長く着ていると臭気をはなちやすかつた。そのうえ、色をつけるのがむずかしく、染料も高価であった。それに対して、綿織物の方は、薄くて、汗をよく吸収した。そして、なによりも「キャラコ・プリント」と呼ばれたように、彩色が容易であった。色あざやかなキャラコの出現は、「ファッション革命」と表現できるほどに、イギリス人の衣料に対する考え方を根本から変化させた。

 生活者の側面からは柳田国男の『木綿以前のこと』が適切な示唆を与えてくれる。

第一には肌ざわり、野山に働く男女にとっては、絹は物遠ものどおく且つあまりにも滑らかでややつめたい。柔かさと摩擦の快さは、むしろ木綿の方が優まさっていた。第二には色々の染めが容易なこと、是は今までは絹階級の特典かと思っていたのに、木綿も我々の好み次第に、どんな派手な色模様にでも染まった。

また、柳田翁はこうも言う。

色ばかりかこれを着る人の姿も、全体に著しく変ったことと思われる。木綿の衣服が作り出す女たちの輪廓は、絹とも麻ともまたちがった特徴があった。そのうえに袷の重かさね着ぎが追々と無くなって、中綿がたっぷりと入れられるようになれば、また別様べつようの肩腰の丸味ができてくる。全体に伸び縮みが自由になり、身のこなしが以前よりは明らかに外に現われた。

 生産側の「産業革命」によるコストダウンと消費側の「ファッション革命」の願望発現が並行して進んだのだ。
 コストだけではなく「ファッション革命」が産業革命という一大イベントの駆動力になったのは、木綿の扱いやすさや肌のなじみやすさや清潔感ということに加えて、服飾表現の幅が格段に広がったためのだ。市民たちがその豊かさの表徴として、あるいは文化コードとして服飾を最大の手段に変化させた。生きるための衣食住から、よく生きるための服飾が膨張しはじめたのではないか?

 柳田国男のこういう指摘がある。

遠目は絹に近くまた肌ざわりも柔かである上に、何よりも女に嬉しかったのは、衣裳の輪廓の美しくなったことである。心がすぐに外に顕われる身振り身のこなしが、麻だと隠れるが木綿ならばよく表現せられる。泣くにも笑うにも女は美しくなった。芭蕉翁の時代はちょうどその木綿の流行の初期で、「はんなりと細工に染まる紅うこん」だの、または「染めてうき木綿袷せの鼠色」だのという句が、しばしば『七部集』の俳諧の中に見えている。
 もう一つ、是これはやや皮肉な見方だが、麻の衣服は少しく長く持ちすぎる。伊豆の新島から友人が写してきた写真では、七十二三の老女が嫁入の時にこしらえたという藍無地あいむじの帷子かたびらを着ている。木綿はこれと反対に早く悪くなってくれるから、安くさえなれば(実際また安くなった)次々に取替えて、変化の趣味を楽しむことができる。

 明治期以降の産業革命の進展以前に木綿は庶民のものになっていたのが日本史の特色であろう。しかしながら、機械による大量生産&大量消費が始まったのは開国以後であるのは間違いない。トヨタの原点である豊田自動織機などが立ち上がるのがその例証だろう。
 柄のはいった繊維は単純作業の連続である。機械化しやすいかもしれない。それに実は文様を生み出すのはアルゴリズムである。それを組み込んだのがジャカード織機である。つまり、初期のプログラマブルな生産機械だったことは、今日の多品種生産の到来を考えると示唆的ではある。
 新興国の経済成長のテイクオフ時に繊維産業が牽引役になることも傍証となろう。日本や新興国の工場立国の始まりには繊維業がある。歴史は繰り返すか。
 現代的な表現でいうなら、B2Cのチャネルが開いたのだ
 繰り返すけれど、大量生産の最初の扉は機械化が容易な繊維産業になるのは女工哀史の舞台が紡績であったことを思い出してもいいだろう。
 そして、衣料の文化消費が他の商品よりも先行する理由の究明には文化人類学の助けが必要になる。

 今回の示唆を与えくれた隠れロングセラー

新版 あなたが歴史と出会うとき ―経済の視点から―

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 簡潔なる産業革命の要諦を抑えた伝統的な史書

産業革命 (岩波文庫 白 144-1)

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 いつもお世話になっている柳田国男の遺産

木綿以前の事 (岩波文庫)

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