サイエンスとサピエンス

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名将 彭徳懐の悲劇

 中華人民共和国の最高の軍人といえば彭徳懐に指を折ることになろう。
写真は働き盛りの頃の彭徳懐である。

毛沢東と親しく、その毛沢東が大長征に際して、詩でもって偉業を称えた数少ない将軍の一人だ。

 山高く道遠く坑深し、
 大軍縦横に疾駆す。
 誰か敢えて刀を横たえて馬を立つる、
 ただわが彭大将軍

 戦場にあっては兵士と同じような生活を行い、彼らの忠誠と尊敬を勝ち得ていた。
 彼自身も貧農出身であり、生涯それを忘れなかった、ほぼ唯一の共産党幹部である。数々の武勲にもかかわらず政治的な問題に関してはつねに毛沢東に従った。
 このような人物が中国共産党の内部抗争と文化大革命の結果、悲惨な最期を迎えるのだ。その末期というのは彭徳懐に限った話ではないのが問題なのだが、それはまた別の話である。

 その最高の舞台は朝鮮戦争であった。

 1950年6月25日金日成の率いる北朝鮮による韓国への奇襲攻撃に始まり、ほぼ李承晩の韓国は有効な反撃もせずに撤退する。一時は釜山周辺まで追い詰められる。
 時を経ずしてGHQマッカーサーによる米軍の介入と反攻。9月15日の仁川上陸作戦により北朝鮮兵站線は絶たれ、北側の退却が始まる。
 38線を超えて米国軍と国連軍の侵攻が10月前半である。そして、彭徳懐の指揮下の中華人民共和国義勇軍」の鴨緑江の渡河と介入が開始されるが10月の後半だ。
 またしても米軍と国連軍、韓国軍は押し戻される。制空権がない人海戦術の中国軍に壊滅的な打撃を受けて敗走するのだ。
 第二次世界大戦の勝者である米軍と国連軍60万を叩きのめしたわけである。これによって毛沢東スターリン及び共産主義陣営に対して優位に立つことが出来た。さらには世界の軍事強国の一翼に名乗りでた瞬間であった。

 こうした功績もあり中華人民共和国元帥に上り詰めるのだが、中国共産党の決めた「大躍進政策」の惨禍を目の当たりして、毛沢東へ直言したことが彼の転落の始まりとなる。

彰徳懐は、農作物収穫量がやはり水増し報告されていたこと、農民が餓死しかけていることを知った。毛沢東ご自慢の土法高炉が社会にいかに破壊的影響を及ぼしているかも、初めて知った。毛沢東がモデルとしている河南省を通過するうちに、高炉がしだいに数を増し、周囲に人々が群がり、手押し車やショベルやはしごやかごが散乱し、高炉から噴き上げる炎ではるか地平線まで火の海のように赤く輝いている光景が見えてきた。汽車の窓から外を眺めていた彰徳懐は副官を振り返り、「この炎は、われわれの持っているものをすべて焼きつくすことになるぞ」と、頭を振った。

 1958年から開始された 大躍進政策とは農業と工業、とくに重工業への産業シフトと一大増産運動である。それは農民の犠牲のもとに進められた。
 農村地帯では大飢饉が起こり、数千万の人民が餓死したとされる。これも別の物語だが、アンティアン・センの学説、共産主義が人民の権利を完璧に無視していることの例証にされている。

 このおりに毛沢東の政策を痛烈に批判したことが後で没落を招く。1959年の濾山会議がその転換点だとされる。

 文化大革命の始まる1966年には彭徳懐紅衛兵により成都から北京に連行される。
 紅衛兵たちから暴行を受けている写真が残されている。

 そして、彭徳懐は約二六○回も訊問された。独房拘禁が続くうちに彭徳懐の精神は崩壊しはじめたが、恐るべき芯の強さだけは変わらなかった。彰徳懐は自分の人生を明蜥な文章にまとめ、毛沢東の非難に論駁した。1970年9月に書かれた最後の部分は、次のように綴られる。
 『それでもなお、わたしは首を上げ、百回も叫ぼう。わたしの良心にやましいところはない』

 自身の国家に多大な貢献をした人物、人民の幸せを願った人物を吊るし上げる若ものたちというのは、どの時代にもどの国にもいたが、これほど悲惨な事例は近代まれに見るというべきだろう。
若ものたちは歴史も事実も知らず、ただ単にユートピア願望の狂気に駆られただけだったのだ。
 そして、結局のところ、文化大革命とは毛沢東の野心による人民の異端分子の大粛清でしかなかった。


【参考文献】
 名物ジャーナリスト、ハルバースタムの代表的作品の一つ。リッジウェイと彭徳懐の好勝負は下巻に描かれる。もっとも最大の被害者は朝鮮民族なのだが。

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 下 (文春文庫)

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 下 (文春文庫)

 文化大革命での彭徳懐の叫びはこの書籍から引用。

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下


 以下の研究から毛沢東の評価はほぼ固まったといえる。即ち、スターリンと並ぶ狂気の独裁者である

毛沢東 ある人生(下)

毛沢東 ある人生(下)

共産主義黒書〈アジア篇〉 (ちくま学芸文庫)

共産主義黒書〈アジア篇〉 (ちくま学芸文庫)

中華人民共和国史十五講 (ちくま学芸文庫)

中華人民共和国史十五講 (ちくま学芸文庫)


Youtubeから
  
2分19秒あたりに晒しものにされる彭徳懐が映される