サイエンスとサピエンス

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系外惑星の発見とフェルミパラドックス

 系外惑星の発見数は数千個にはなっている。いわゆるハビタブル・ゾーンに属する地球型惑星も発見されている。にもかかわらず地球外文明の証拠はゼロのまんまだ。
そう。例のSETIの活動でも地球外文明の発信ケースはゼロだ。
 この事実は「グレート・サイレンス」とも呼ばれる。SF作家のD.ブリンの命名なのだそうだ。
 フェルミパラドックスとは、地球のような知性を育める惑星の存在は特異的ではないという平均化法則と地球外文明の痕跡は皆無という観測事実の矛盾を指す。
 パラドックスの意図は地球外文明がないということではない。その存在が予想されるのに、兆しが見つからないという点にある。
 フェルミは「彼らはどこにいるのだろう」とランチタイムで仲間に話してから、例のフェルミ推定で地球外文明の数も計算したらしい。
 その直系はドレークの公式だ。銀河系で何らかの通信をしている文明の数を推定する式だ。

  fl fcといった生命の発生する確率や生命から知的生命が生じる確率などについて推定値を入れるというわけだ。
 実は文明の数歩手前になるが、生命発生の普遍性については近年ますます証拠が集まりつつある。深海の熱水噴出孔で見つかった代謝系がまったく異なるチューブワームのような生き物の存在などだ。文明以前の生命ならば宇宙ではありふれているらしい。それらが太陽系間通信をできるレベルの文明を持つにいたらないのだろうか?

 だが、フェルミパラドックスの暗黙のルール的前提が幾つか、ある。「知性」はお互いを知性とみなし合うことが可能だというのも其の一つ。また、その系として「電磁波的な通信」が存在了解の手段になるというのもそうだろう。電磁波でなくともいいのだ。例えば、恒星を幾何学的に並べてもいい。だが、そんな方法はコストがかかりすぎ、全方向から秩序ある配列というのも難しいかもしれない。彼らにも重力の多体問題は解けないかもしれない。
 そもそも、電磁波通信における「時間」の共有なども深遠な問題かもしれない。異なる「文明」は時間の流れを共有できるのだろうか? 一定の周期や波長などという通信の基本原理を共有できるのだろうか?
そもそも「時間の向き」は同じ方向なのだろうか? この疑問については最近の映画『メッセージ』が部分的に扱っていた。
 いやマクタガートがいうように「時間の向き」は仮想の代物でしか無いのかもしれない。
時間一つでも前提がガタガタである。ならば、どうしてお互いの存在を了解できるのだろう?
 ウェルズのファースト・コンタクトものの傑作『宇宙戦争』などは侵略という分かりやすい相互了解の形態であった。しかし今のところは宇宙からの侵略戦争というよりは「完全な無視」のほうが気になる。その「無視」の典型として、「通信」が成立しないというのはありそうではないか?

時間の非実在性 (講談社学術文庫)

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広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

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音楽もある

フェルミ・パラドックス

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