サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

プロ野球ニュースの科学的多元性

現時点で日本のプロ野球ニュースの主題は「 エンゼルス大谷翔平投手(23)のメジャーリーグでの大活躍」にあるようだ。
 気の早い大谷ファンは来年以降の活躍も期待するだろう。
 しかし、アメリカ野球のジンクスは「ルーキーのラック」といって、来年の活躍は今年以下だろうと片付けるだろう。
 確かに来年の今頃は大谷選手は「時の人」ではなかろう。 
 経済心理学者も同じように扱うことになる。ノーベル賞というヒットを飛ばしたカーネマンなら、次のように解説してくれるかもしれない。

・初日に好スコアを出した選手は、二日目もよいスコアを出す可能性はあるが、初日ほど
の成績は期待できない。なぜなら、初日は非常に運がよかったと考えられるので、それ
が二日目も継続する可能性は低いからである。
・初日にスコアの悪かった選手は、二日目も平均を下回ると見込まれるが、初日よリスコ
アはよくなるだろう。なぜなら、初日は非常に運が悪かったと考えられるので、それが
二日目も継続する可能性は低いからである。

 これがゴルトンの「回帰法則」の一例である。飛び抜けたものすべて平均に戻ろうとする。よって、来年の活躍は望み薄であろうと経済心理学者は予言する。

 スポーツに対する勝利の方程式はカーネマンの公式だとこうなる。

成功=才能+幸運
大成功=少しだけ多くの才能+たくさんの幸運

 つまり、カーネマン流にいうとスポーツ選手の勝利の条件は運動能力や精神面の強さも大事だが、「幸運」がさらに大きな要因だとする。

 それは統計的な法則だから、嘘ではなかろう。だが、不満を抱く人たちは多かろう。
スポーツ系の専門家たちはとくに、そうだろう。彼らは勝利する条件を考え、プロ選手たちをサポートするシステムを構築している。栄養士、マッサージ師、医師、アスレチックトレーナー、ゲームアナリストなどのブレーンチームが選手を練磨する。
 このプロ集団が「才能」を伸ばすだけでなく、様々な科学的処方と鍛錬が少しの「幸運」を「たくさんの幸運」に増幅するとスポーツ科学者たちは断言するだろう。
 個々の選手は「統計集団」とは違うのだという主張だ。

 それはそうだろう。「ルーキーのラック」は自然に沸き起こるわけでもないだろう。何連勝したチームや選手も過去にいるのだ。
 だが、連戦連勝した選手とそうでない選手をまとめて規則性を考察すれば、カーネマンの言うことも正しくなる。それに、誰でもブレーン集団を雇えるわけではない。

 これらのつばぜり合いと別にもう一つ、スポーツ選手の集団を見つめる経済心理学者や個々の選手を支えるスポーツ科学者とは異なる見方がある。
 「競争原理」主義者の見方だ。ダーウィニズム的な観点といってもいい。
 伸びた選手や優勝したチームは「強み」を持つ。その半面、「弱み」が必ず付随する。強みは模倣される。対策が講じられる。大谷選手も鵜の目鷹の目でそのクセや特徴を分析されるだろう。そして、いいところは全部ものまねされるのだ。
 これは生存闘争の世界ではどこでも生じている。成功者はその成功要因によって次の瞬間には別の成功者に取って代わられる。アメ車が落ちぶれ、ウォークマンiPodになったように。

 そういうわけで、「ものの見方」は多様で相補的であるべきだろう。通常は「回帰法則」で統計学には勝てない、で終わるのだが、統計は統計、スポーツ科学スポーツ科学、ダーウイン流の競争原理主義もある、それぞれの観点がある。多元的に押さえておかねばならない。


【参考資料】
 カーネマンのスポーツ業界の見方は「上巻」に出ている。

 「炎のランナー」のスポーツマンシップモデルは古いのだろう。プロ選手の戦いは参謀や諜報を備えた全面戦争なのだ。

 コトラーの本が商品観点での競争原理の解説が懇切丁寧だろう。「プロ選手」は「商品」なのだ。

コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント基本編 第3版

コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント基本編 第3版

 昔のオリンピック選手のあり方は現代人には理解できなくなりつつあるのかもしれない。