サイエンスとサピエンス

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この世はシュミレーション(シュミレーティッドリアリティ)へのささやかな不平

 『マトリックス』がこの世はシュミレーションという考え方を世に広めるのに預かって力があった。それ以前にもSFでは同様のアイデアをもとにした小説があった(例えば、レムの泰平ヨンシリーズ)

 その淵源はプラトンの洞窟の比喩にあるらしいことは、この「水槽の脳」のWikiを眺めると推察される。

ja.wikipedia.org

 

 「この世はシュミレーション」仮説に対して少々、異議を申し立てておこう。

その発想の原点はコンピューターシミュレーションであるのは確からしい。

その時点で、

・シュミレーション対象は「モデル」化された模造物である

・デジタル化されるデータは「可視化」される物理量だけである

という事態に直面する。

 台風はいくらスーパーコンピュータで精妙に模擬実験されようとも実験室を水浸しにしないとはよく言われる。シミュレーションの対象は「実在物」から切り取った観測可能な量であり、それを流体力学や弾性論や天体力学などの方程式で間を紡ぎ合わせているだけである。

 あるいは、都市空間や屋内をAIが三次元空間として自動生成して現実世界と区別できないと驚くのはいいが、それはゴーグルの内部だけ、あるいは画像という「洞窟の壁への」プロジェクションのなかでのお話だ。リアルとは異なる現象世界のお話しなのだ。

 それに加えて、そこでの生成データが可視域、可聴域に限定される。ディスプレイに映し出された世界はアニメと同様に、文明化された人間向けのコンテキストで裏打ちされた社会的な構成物であろう。不要なもの、夾雑物はデジタル化されない。

 昆虫や微生物などは捨てておかれる。あるいは臭さや不快な湿度などの余計な感覚もだ。シュミレーティッド・リアリティはアニメと同様に見たいものを視覚化しているにすぎない。言ってみれば、RPGゲーム世界のようなものだ。

 それは理想的な現実を創造した。プラトンイデアに近いといえばそうかもしれないのだが、それでは現実離れした「リアリティ」になってしまう。

 これだけで自分にとっては「この世はシュミレーション」はにべもなく拒絶できるのだが、逆に現実世界の複雑性には圧倒されるという驚きがひとしおなのだ。

 類似な発想が全脳エミュレーション研究だろう。人の脳内のニューラルネットワークを同規模のコンピュータ上のニューラルネットワークモデルで模擬しようとする研究だ。人の思考や能力を再現しよう試みなのだろうが、これは下手をすれば何を検証しているかわからなくなる惧れすらある。そもそも脳は電気信号のワイヤーの束ではないのだ。グリア細胞などはどうするのだろう?セロトニンなどの脳内ホルモンは?

 全脳エミュレーターがフル活動したからといって、あなたの隣人と同じであるという保証は何もないし、何がエミュレーションモデル内で起きているかも理解しがたいだろう。

 リアルとモデルの対比という点で歯車仕掛けの天球儀と太陽系はシュミレーティッドリアリティとリアリティの相似になっている。見かけは同じだが天球儀は地表からの太陽と月や惑星の動きしか模擬していない。同様にシュミレーティッドリアリティは見せかけの模写にしかならなっていない。機械仕掛けの神という言い方があるが、コンピュータ上で生成されたものは機械仕掛けのミミックだ。

 

 奇態な想定例で説明しよう。人体の精妙な素晴らしいシミュレーションがあったしよう。あらゆる臓器の形状や物質の交換、温度や血液リンパの詳細まで現実の人体そっくりだとしよう。

 だとしても、それは養老先生が指摘しているようにその時代時代での人体の見方に制約を受けている。例えば、臓器の発する振動はそうしたモデルでは捨象されるだろう。  

 かつていかなる研究者も内臓の振動による相互作用など研究も注目もしていないだろうからだ。横隔膜の振動が鼻腔の構造と関係がないなんて誰がいえる?

 けれども将来、臓器間のコミュニケーションに振動は重要だという発見がなされたら、そのシミュレーションは瑕疵物件となってしますう。