サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

いわゆるホモサピエンス君たちの能力減退の証拠集め

 同じ種族であったネアンデルタール人との生存競争で生き残ったのがホモサピエンスの諸氏なのだが、これが最後の同種併存だった。つい一万年前ごろまでは生存していた。

 ここでは脳の容量がネアンデルタール人の方がやや上であったことを指摘しておきたい。彼らの平均は1550㎖で、現生人類は1450㎖。

 ネアンデルタール人に勝っていたのはおそらくホモサピエンスの「社会性」であったという説がある。言語機能もその一つとされる。芸術的なネアンデルタール人は情感的で歌えたかもしれないが、ホモサピエンスはビジネス的で正しく伝えること(コミュニケーション)ができたのだ。

 

 それについては、先ごろ読んだ面白い記事があった(2021年10月)。ここ3000年間で現生人類の脳容量は減少傾向にある。その要因としては、相互信頼性の増大のおかげで、使う能力が縮小したという仮説があるということだ。

 記事では文字の発明にその原因を求めている。

nazology.net

 文字を集合知としてもいいが、知識伝達の手段の拡張としてもいいだろう。つまり、「通信」だ。信を通ずということだ。信頼できる情報を集団内に広め、同じ価値観と行動をとらせることだと解釈しよう。ネアンデルタール人で弱かったかもしれない相互信頼性の増加だろう。

 この発展は現代文明の礎となっている。典型的な商品やサービスをたやすく交換できる仕組みがそれだ。それには「社会性」の一部としての信頼性とコミュニケーションが不可欠であろう。

 そうなると生存のための各種の能力は縮退させられる。水や食料を探して長時間移動したり、その所在を嗅ぎまわることもなくなれば、衣服や住居の所有をめぐって言い争うこともなくなる。生きるための無数の交渉や争いは限りなく低減できる。そのかわりに、肉体的かつ感覚的な能力やそのためのエネルギー(カロリー)も節約できるだろう。

 ここで生の哲学者アンリ・ベルクソンの指摘を思い出そう。彼の総括によると社会的生物の二種類の極がある。蟻のような社会的昆虫と人類だと『創造的進化』(1907)で彼は主張した。20世紀におけるその差異は21世紀においては、縮小方向にある。(先進国の)ホモサピエンス君たちの一般的な知能は減少方向にあり、脳は萎縮するような進化圧が高まっている。

 社会の基盤はデジタル通信に置き換えられた。信頼性とコミュニケーションは数百文字以下の文章と会話とIDで支えられる。水や食料の補給も寝る場所もデジタル通信で確保できるのだ。複雑な手順や駆け引きは要らない。義務教育という標準ルーティーンさえ履修していれば、生存可能なわけである。

 こういう社会においては(それが永続するなら)種としてのヒトの個体能力はおおむね減退し、脳容積は縮小することは不可避であろう。

 

 

 

 

 

 あんまり科学的ではないが、問題提起の書ではある。

 

 20世紀前半は先進国のヒトの知能は極大に近い状態だったかもしれない。

 

 現生人類の希望はかえって混沌の大陸アフリカにあるかもしれない。極限状態で生きている人びとは文明国の卑弱な人間よりも潜在力に満ちている。出アフリカを人類は再び繰り返すことになるだろう。

 

進化心理学のミズンの怪作。名著『心の先史時代』の応用編的なものか。