サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

人類は宇宙進出を果たせるか

 アメリカ合衆国NASAアポロ計画は1969年に人類をはじめて他の天体に送り込むのに成功した。

  • 1969年7月16日 アポロ11号
  • 1969年11月19日 アポロ12号
  • 1971年2月5日 アポロ14号
  • 1971年7月30日 アポロ15号
  • 1972年4月21日 アポロ16号
  • 1972年12月11日 アポロ17号

 と計六回、月面に人類は足跡を残した。
 アメリカは輝いていた。
 しかるに、その後今日に至るまで、アメリカを含め、いかなる国家も他の天体に人類を送り届けられないでいる
 確かに軌道上に国際宇宙ステーション(ISSI)はある。だが、それとて実験施設であり、各国の南極基地にも劣るような規模だ。軌道高度は413k程度であり、地表すれすれを運航している。定期便のシャトルは退役してしまった。その外観は寄せ木細工のようで不格好だ。
 ISSIは所詮、人工衛星のようなもので、他天体上の基地ではない。確か、晩年のA.C.クラークも嘆いていたと仄聞する。彼のつもりでは1970年代には火星にゆくはずだったのだから。宇宙への人類の進出に関しては無益な歳月が流れ去った。

 繰り返すけど、なんといっても最後の月面到着から、40年近くも経つのだ。なのに、有人宇宙飛行は惑星(火星)にも届いてない。
 なぜだろう?
 技術的問題か? そうではあるまい。一度ならず六回も連続して月に行けたのだ。*1
 では、経済的問題か? それはありそうだ。現にアメリカは70年代以降、ベトナム戦争に負け、貿易赤字に苦しむようになっていったのだ。1960年代の貨幣価値で240億ドルをアポロ計画に投じたのだから、無理も無い。宇宙飛行士ガガ−リンを最初に大気圏外に送出したソ連はそれ以上の功績を残すことなく、やがて経済が行き詰まり、内部崩壊した。*2
 その後、経済成長した日本やドイツなど欧州諸国は何をなしたろうか? 日本は宇宙開発ではアメリカに協力したので、経済制約は原因ではないのではなかろうか?

 確かに、経済的な理由だけではなさそうだ。
 ならば、政治をからめた、より入り組んだ経済と技術との複合要因かもしれない。
 
 宇宙技術は進歩はしているが、例えば半導体でのムーアの法則のような技術進歩は、有人宇宙飛行の分野では起きなかった。
 価格性能比が数年ごとに倍になるような破格の進歩がある分野で発生するかしないかは、厳密な研究を要するテーマだ。鉄鋼生産にしても自動車生産にしても半導体生産ほどではないが、破格の進歩=価格性能比の指数的成長を遂げている。半導体だけが例外ではない。
 これらの分野ではいずれも生産を伸長させつつ価格が下落し、しかも品質は向上しているのだ。
 こうした経済技術システムを「ドメイン」と命名しておく。
 あからさまな事実として、有人宇宙飛行技術ドメインでは技術革新は停滞した。
 この際、収用逓増の法則が停滞仮説の参考になるだろう。
以下、大雑把な議論なのはご承知おき願いたい。

仮説1:技術情報(開発・品質・コスト)を相互運用しえることが不可欠である
仮説2:価格性能比の低減は、量産可能な技術経済のドメインにのみ発生する
仮説3:指数的成長可能なドメインは「軽薄短小」な性質にかぎる

 ここでは以上のような暫定的な発展要因仮設を提示しておこう。
簡単に説明する。
 宇宙開発は各国の知財の囲い込み対象になった。旧ソ連アメリカ合衆国は軍事技術とみなして、有人宇宙開発の技術情報をオープンにしていない(はずである。要検証)というのが仮説1の言わんとすること。
 有人飛行は大気中においてさえ、量産可能とはならなかった。すなわち、マイカーのようなマイプレーンはアメリカ合衆国ですら実現しなかった。空中を気軽に飛行するのは、どんなにニーズがあっても量産化大衆化できない。ましてや、大気圏外は金持ちすらマイスペースプレーンを持てない。いまだ超大国が総力をあげても長期滞在型宇宙基地への毎月定期便を実現するのは困難なのだ。機械とまったく異質な有機物「ヒト」を搭載するのは機械を止めどなく肥大させる。その技術的制約はどデカイ。
それが仮説2。
 仮説2に密接に関連しているのが最後の仮説。軍事にとらわれず、量産可能となると民生分野になるが、そのコンパクトな特徴表現は「軽薄短小」である。有人宇宙技術は「軽薄短小」からほど遠かった。それが仮説3だ。
 軽薄短小の代表である情報通信術はスマホという名の「マイ情報センター」をクラウドで実現している。

 これに対して、無人宇宙開発は民生分野の恩恵を受けて、順調に飛行実績や観測結果を延伸させているのも、上記の仮説の裏付けとなるかもしれない。それに「はやぶさ」のように小惑星から帰還したケースもあるのだ。

 宇宙開発を論じる人たちの多くは、太陽系への限りない人類の進出を信じている。それを信じるのは、まことにけっこうなのだ。だが、これまで現代文明が達成したこと、アポロ以降に成し遂げたことの反省を踏まえたほうがいいと思うのだ。
 個人的見解にすぎないが、このままでは有人宇宙開発は袋小路になる。その根底には現代文明固有の呪縛があるのかもしれない。
 国家間での資源をめぐる対立と軍事的な対立という国際関係の構図、それに上に述べた、経済・技術論的な制約だ。
 全国家・全人類がお互いに資源や技術を共有しながら、一体的かつ統合的な開発組織をつくらない限り、月面基地を建設・運営したり、火星に人類を到達させるのは無理ではないだろうか。

 単純な提言であるが、国際的な統合宇宙開発事業団にすべてをまとめあげてはどうだろうか?競争原理を働かせるために、「二つ」の統合宇宙開発事業団にしてもよい。そのかわりに、技術情報は共有させるのだ。

 国のプライドとかエゴが染み付いたイマのような宇宙開発体制がダラダラ続けば、人類は地球にへばりついたままにお仕舞になるのではないか。そんな疑念が脳裏を去らないのは自分だけであろうか?

 さらに追加しておくべきことは、「地球温暖化」への影響である。これはフェルミ推定で出せるだろう。
 体重50キロのヒト一人を1万キロ彼方まで重力に逆らって仕事をするとすれば、何ジュールか?
5☓10^8 Jの熱が大気圏に放出されるのだ。つまり、ロケットにより噴射される推進エネルギはすべて熱になるということを意味している。ロケット自体の重さを無視したとしてしてもだ。
 ロケットのペイロードが50キロということはロケットの重さが数十倍から数百倍になることを意味する。もちろん50キロしか運ばないわけではない。食糧、水、酸素、その他もろもろの生活必需品が必要になるのだが、それを無視した計算だ)
 立つ鳥後を濁して廃熱を大気圏に撒き散らすることになる。ヒトが大気圏外に出るとは石炭ストーブ何十万器分の排ガスを撒き散らすことでもある。

ダメ押しで、別な側面から人類の宇宙進出を制約するのは、人体生理と心理の研究結果であろう。

 NASA研究者がこの本で主張するのは人体は無重力には適していないということだ。閉所でのグループ心理は劣化することもある。生理学的・心理学的にも宇宙空間が人間に不向きだというのが研究結果だ。そして、山ほどの放射線が遺伝子を蝕むというおまけ付きである。

宇宙飛行士は早く老ける?―重力と老化の意外な関係 (朝日選書)

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 技術進化に関する決定版と太鼓判(今のところは)どの方向に進化するかはこの方法論で定性的には読めるだろう。

テクノロジーとイノベーション―― 進化/生成の理論

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 ちなみに、この松浦氏のブログには正統的かつ正論がある。
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2010/06/post-d858.html

*1:途中で引き返したアポロ13号があるけど

*2:ソユーズの技術は大したものだが他天体に有人飛行の実績はゼロだ