サイエンスとサピエンス

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中国SFがヒューゴ賞受賞

 SFファンやSF関係者の間ではすでに過去のニュースとなったが、中国本土で書かれた長編SFが2015年のヒューゴ賞受賞作(長編部門)に選ばれた。
 ハインラインやクラーク、アシモフが受賞していることを考えるとまさに快挙といえる。
 劉慈欣というシステムエンジニアの作品『三体』である。表題は天体力学でいう三体問題の「三体」なのだが、設定が凝っている。
 3つの恒星系で生まれた三体星人が作り上げたおそるべき冷酷非情な先進文明が地球侵略を進めるという設定だけでは時代がかったスペースオペラ的なストーリーな感じだ。しかし、文化大革命による知識人弾圧を背景にリアルタイムな設定で迫力ある物語世界を創造することに成功しているようだ(現時点で翻訳がないのでwikiに依存した)

 ともあれ、日本のSFとしては、伊藤計劃『ハーモニー』がフィリップ・K・ディック記念賞の特別賞(2010年)をとったのが海外での最高評価である。
それと比較すれば中国人の成長ぶりの速さとパワーに圧倒される。
 1950年ごろまでは中国本土は政治的軍事的動乱にさらされていたのだ、文化大革命も混乱を増長させただけだった。高度経済成長は1990年代からであり、その熱気がこうした作品に結実したのだろう。

 他方、日本SFの黄金期はすでに過ぎ去っているかのような感がある。多分、小松左京星新一筒井康隆がその世代であった。戦後の焼け野原からの活気と経済成長期の文化的産物だったのだろう。
 その後のファンタジー系の軟性コンテンツが高まり、ゲーム文化の奔流に呑み込まれて、高みに飛翔することなくオタク文化の一分枝にとどまっているようだ。
いまの日本SFのことはよく知らないが、唯一一般の小説好きにも受けている伊藤計劃の小説から外装すると、複雑に入り組んだ現実に内在する深刻な矛盾や孤独感などとは無縁な内容なのだろう。
 戦争や過酷な粛清などを知らない温室では大きな物語を知らないままに、そうなってしまうのだろう。内向きな日本SFの現実というのは、ザラザラした非情な歴史がなかったことの証明だ。
 大塚英志東浩紀がそうした傾向性を論評して久しいこともいい添えておこう。
 ついで付け加えるが(これもWIKIの受け売りで心苦しいが)、2013年 のヒューゴー賞短編部門の受賞作は、もっと日本文化に対して微妙な感性を表現した異色作だ。
 その作品「もののあはれ」は中国系アメリカ人の劉宇昆(ケン・リュウ)による。タイトルは「Mono no aware」という日本語そのものの英語である。
 ケン・リュウはもちろん本居宣長の平安朝の文学論にその発想を求めたのではない。なんと『ヨコハマ買い出し紀行』にインスパイアされたという。当該コミックはそれなりの哀感と抒情が漂う佳作だ。だが、平安朝文学とは違うのだと古典を習ったEX受験生は考えこんでしまう。考えこまずに見事に小説に仕立ててしまうのが劉宇昆のスゴイところだ。
 多くの日本のSFファンが知らないであろう「もののあわれ」が、中国系アメリカ人により異質なものに本案されてアメリカ人に浸透する。
 そういう時代なのだろう。



もののあはれ」を含む劉宇昆(ケン・リュウ)の作品集。『三体』の英訳と紹介もこの人の業績

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

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