社会科学でも本格的な脳科学化が進行中だ。それは当然そうなるだろう。脳活動を見える化(fMRIで可視化)することが手軽にできるのだ。自然科学的基礎づけを切望していた一部の社会科学者は飛びつくのはしごく当然だ。
また、人との関係でミラーニューロンが発見されたことがトリガーになったのかもしれない。人の行動にどのように反応するかを示す脳活動が識別されたことの意味というのは、大きい。つまりは社会的行動の脳局在化を進められることの根拠となったわけだ。
このように社会的行動が脳機能イメージングに還元されると行き着く先の一つに「学問的探求」の脳機能を研究する分野が現れるだろうし、その一分枝として「脳科学研究」で活性化する脳機能が見いだされるかもしれない。
ひところキーワードになった「脳が脳を理解できるか」の実践である。ただし、この疑問については答えはなかばわかっている。
「理解できない」だ。
それは今しも起きている。日々発行される大量の論文、多数の発表や論説の無数なざわめきを一人の学者が理解できないことに現れている。
脳研究で活性化する脳機能の部位(あるとすれば)が興味深いのは論理的な観点でだけだろう。その違和感とは、脳に興味を示す脳の部位という切り刻まれた概念の不条理さや宙ぶらりんさなのだ。
同様なことは「私」を自覚的に考える時の脳の状態にも言えるであろうか?
どうもそうではなさげなのだ。「私」は仮想的なもので脳のどこにもいないことが脳科学的に明らかになる日が近いという。自分が脳と身体の主人公であるというのはもつれた幻想のようなものだ。であるとするとDeepNetのようなニューラルネットワークを人工知能の基盤にしているとAIが「自我」に目覚めるという予想は、これも幻想なのかもしれない。AIは「自我」を持たないのだ。
- 作者: ジョンピネル,John P.J. Pinel,佐藤敬,泉井亮,若林孝一,飛鳥井望
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- 発売日: 2005/06/01
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