サイエンスとサピエンス

気になるヒト、それに気なる科学情報の寄せ集め

デジタルテクノロジー信奉者の見る未来

 デジタルテクノロジーの進化に関する論説は世界の将来やビジネス、技術進展に関心のある人びとの注目をいつも浴びていて、一部の反体制派は紙の世界(出版物)で論陣を張っているのでその声は大半のスマホやネットワーク信者には届かない。技術評論家のニコラス・カーや経済学者スティグリッツはインターネットの負の側面を語っているが、マイナーな存在なのであろう。
 ネットのなかのSNSやBlog、ジャーナリズムの記事などもどれもこれもその信者しか話しかけてこないし、それが日々膨れ上がっているので、批判者の意見は影が薄くなる一方だ。
 一方、無数のブロガーやケヴィン・ケリーみたいな人びとがデジタルコードの威力やネットワークの拡大をカリスマ的に語りかける。おそらくは後者の方が時勢には合っているし、説得力もある。

そのケヴィンはインターネットにより生み出された世界の潮流は止めようがないと言う。
この繋がれた羈絆テクノロジーによる変化は不可避であり、今はその絶好の機会人生を変換させるための好機だという。
 デジタルテクノロジーでもって文明を睥睨しているかのようだ。抜けられないソフトやOSのupdateとアプリの増大を歓迎している。いうなれば欲望の肥大がより良い明日を迎えるための処方箋だというわけだ。
まさに第一級のアフィリエイターの発言だろう。
 ここには「土」の匂いや「種の消滅」などは全く感じられない。
テクノロジーのピラミッドの高みしか視野にないように思える。
 でも、今ままでの流れはケリーのようなデジタル預言者の発言を裏付けているように見えるのも事実だ。

生まれてから加年経ったウエブの規模は想像を絶する。ウェブのページの総数は、一時的に作られたものも含めて60兆を超える。これは今生きている人ひとりにつき約1万ページ分の量だ。そしてこの肥沃な世界全体は、創造されてからまだ8000日も経っていない。

 これが20年の変化だ。恐るべき膨張であり、人びとの精神生活への浸透だ。この傾向が止まる兆しは一切無い。膨張に歯止めをかけるような人びとの動きはまったくないのだ。電気を使わないアーミッシュですら公共図書館のPCで通販を行っているという。
 このヌースフィアと呼ぶインターネット中心史観も登場している。
だが、すべての膨張は永続するものではない、というのも今のところ例外はないようだ。アンモナイト地質年代の長きにわたり繁栄した。だがそれは3億5,000万年くらいだ。
 デジタル・テクノロジーの寿命はアンモナイトを凌駕するだろうか?

 というわけで、問いたい。余す所、あと80年ほどの21世紀において何が人類の未来で保証されていて、何が保証されていないのであろうか?
 石油枯渇論はその悲観的予言を幾度となく訂正している。エネルギーと資源はいつかは無くなるというのは正しいが、それが正確にいつかについては無力の発言だ。
 デジタル・テクノロジーは20世紀後半から現在まで膨張に限界がない。それは、いつか停滞するという有力な預言者がいないようだ。地球温暖化などによる人類衰退論=デジタルテクノロジーが停滞になるだろうが、ここでは人類が発展してもデジタルテクノロジーは途中で放棄されるという論者の存在を指す。
カーツワイルのようにデジタルテクノロジーの進化が人間を無力化するという人はいるにせよ。デジタルテクノロジーを見限って人類はより高みに立つという論者はいないようだ。
 未来の技術はデジタルテクノロジーが主流だと誰しも言う。この一大傾向に棹さしたいのだが、何かその根拠があるだろうか?
 デジタルテクノロジーの無際限な増殖をとどめるような事実があるだろうか?
 敢えてその事実を無理くり言えば、電子機器の熱問題だろうか。マイコンなどの半導体は熱に弱い。劣化速度が早まる。そのくせ、電流が流れて動作すれば必ず熱が出る。このまま温暖化が進行すれば、間違いなくデジタルテクノロジーの熱的死、あるいは熱的劣化が進行するだろう。
 タンパク質が熱に弱いのと同じようなものだ。どちらかと言うとシリコンチップの方が熱耐性はあるようだが。
 実際のところ、社会の一大変化というのは内在的要因ではなく、外部からのインパクトで発生するようだ。


 外挿によるポスト・インターネット社会。だが、外挿以外にどのみち予想しようがないのだろう。

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

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前著の「テクニウム」の方がバランスが取れていた。

テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?

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