コンピュータや旋盤、車両などの機械は、振動もしくは回転がその心臓部である。
たとえば、デジタル化した機械は必ずクロックを刻みつつ作動する。
これにはなんの不思議もない。
機械の重要な中継点は歯車式時計であろう。その脱進機こそは時の刻みだった。
時代をさらに遡行しよう。時計は、元はと言えば、天体運動を模したものであったはずだ。
つまり、なべての機械は天体運動=コスモスに向けられた人類の模倣衝動に起因していると思われる。
この説をいいだしたのはバナールか、ニーダムだか、今は詳らかにできないが、大きな表現の差異はないはずだ。
ここで、エルンスト・ユンガーを引用しておこう。
歯車時計は、地球的時計でも宇宙的時計でもない。
典拠である『砂時計の書』ではこの人工化し矮小化した時間に精神が隷属してゆく近代性に疑問を投げている。
近代の機械はコスモスから生じたはずが、その本来性から外れてしまった。
今では煉獄の住民たちの見張り番になっている。