世のなか、RPGゲームだのファンタジー映画だのが幅を利かせている。それと同時代性を持っているのが、サイバーセキュリティにおける防衛と攻撃(サイバーアタック)だ。
やっていることは、それぞれの高度なテクノロジを使っているにはいるのだが、その見かけは「呪文」の掛け合いでしかない。
コンピュータを駆使するためには、名前(ID)とパスワードを入力することから開始しなければならない。ここでコンピュータに対して支配者(使い手)と権能が宣言されるのだが、名前とパスワードという秘密のことばを唱えている。呪文の始まりだ。
コンピュータは支配者の権能に応じて、それこそ何でも対応してくれる。人の呼び出し、食事の提供、車と宿の手配…日常生活は事足りる。仕事もそうだ。
しかしながら、そこに「悪意」が潜んでいる。コンピュータの世界で我が身を守るとは「セキュリティを守る」ことになる。その敵手を魔導士といってもよかろう。
魔導士の多くは不可視であり、顔も名前も素性も知れない不特定多数だ。
コンピュータ言語仕様に基づいた攻守を展開する有り様は、魔術師のようでもある。
情報セキュリティと異なるのは、それが現実世界に出没しているからだ。
スマホだけではない。電力システムや輸送システムや家電にまでその呪術の影響は広がりつつあるのだから、穏やかではない。
近代に入る時代診断を「脱魔術化」あるいは世俗化とした社会学者マックス・ウェーバーはこれを何とみるだろうか?
